[5] 長老会議
カスティージョからの呼びかけにより、5日後の午後、エル・ペンド洞窟に於いて赤毛の一族の長老会議が行われることになった。
エル・ペンド洞窟は、今日のサンタンデール湾に近いエスコベード・デ・カマルゴの比較的なだらかな丘陵地帯にそそり立つ北向きの崖下に開口しており、モリンからは半日、カスティージョとオルノス・デ・ラ・ペーニャからは約1日、ミロンからは2日の距離にあった。北に隣接する海岸地帯と南の山岳地帯の中間に位置し、古来、大型の獲物の通過する十字路となっていたため、狩猟の民にとっては要の地のひとつであった。
長老会議に参集したのはカスティージョ、ミロン、モリン、エル・ペンド、オルノス・デ・ラ・ペーニャの長老とその若年寄各2名で、合計15名の代表がエル・ペンド洞窟の開口部に続く広間に集まった。広間は巾約30メートル、奥行き50メートル、天井の高さも最大5メートルはある巨大な空間で、薄日の射す入り口付近が住まいとして利用されていた。入り口から左の岩壁にそって幾つか灌木の枝とシカの毛皮でできた囲いが見え、その内側から立ち上る3スジほどの白い煙が天井をはっていた。囲いの切れ目からは何人もの女、子供たちの好奇な眼差しが垣間見えた。
大広間の最奥部はその全面が垂直の岩壁で仕切られており、長老たちは、その中央部手前の薄う暗がりの窪みに設けられた大きな炉の周りに腰をおろした。炉の炎に赤く照らし出された長老たちの顔と顔には、それぞれ事態の深刻さが見てとれた。岩壁を背に座したのはエル・ペンドの長とその若寄2名で、まずは洞窟の主であるエル・ペンドの長が長老会議の開催を宣言した。
「今回は、カスティージョの長、タオからの呼びかけにより、この場所で急遽、会することにあいなり申した。同胞の皆さま方にあっては、冬支度の砌、全員快くご参集いただき私からも暑く御礼を申しあげます。」
エル・ペンドの長は、カスティージョのタオよりやや年上で、若い頃からあご髭をたくわえていた。
「で、今回の話し合いは、近年、しばしばこの地で見かけるようになった足長の異族についてでありますが、この件につきましてまずは発起人のカスティージョの長から事情を説明していただきたい。」
そこでカスティージョの長老タオが立ち上がり、このまま手をこまぬいていれば、間もなく恐ろしい事態になりかねない状況を自らの体験をまじえて説明し、その対策について一同の知恵を請うた。と、モリンの長が口を開き、「あの足長の族については、最近、我々の近くでも見かけるようになった」と次のように報告した。
「それは今年の夏の始めの頃であったが、我らが獲物を求めて北の入り江にさしかかった際、眼下の磯辺に怪しげな男の影が3つほど見えた。よく見ると足が異常に長く、細身の躯ですぐに我らとは違う族とわかった。そして驚いたことに、彼らは先の尖った細長い棒を素早く海中にさし込み、生きた魚を安々と捕まえているようであった。そこで我らはどうしたものかと思案したが、それから彼らは磯辺の岩陰で火を起こし、捕まえた魚を焼いて食い終わるとさっさと東の方へ去っていった。我らはどうするわけでもなく、そのまま見過ごすだけだった。それにしても彼らがいともたやすく魚を捕まえる様は空恐ろしいほどであった。」
続いてミロンの長が口を開いた。
「我らもこの春に同じような怪しげな男の姿を見たが、それは我らが川を遡り、北の海辺の河口に石の道具の材料を採りに行った時であった。何時もの河原にさしかかると、そこには既に槍を片手にした2つのヒト影があり、欲しい石を探し求めている様子であった。ヒト影は、ほっそりとしてどう見ても我らとは異なる部族のものであった。我らは川辺の木陰に身を隠し、暫く彼らの様子を伺った。彼らは、あちこちと河原を探し回った後、幾つか望ましい石を見つけたためか、二人そろって川縁に腰を降ろし、膝の上で石をたたき始めた。作っていたのは槍の穂先のようで、作り終えると携えていた槍先にくくりつけ、そのまま向こう岸へ去って行った。彼らが石を叩いていたその場所に行ってみると、そこには細かい石のかけらと一緒に作り残した石核が2個、それに先端がかけた細長の穂先がひとつ転がっていた。石核は上下が平らに打ち割られたもので我らのものとさほど変わりはなかった。ただ、残された石のかけらを見る限り、仕上げた穂先はかなり小ぶりのようであった。細長の穂先のかけらはこのあたりでは見かけない黒光りした石でできたもので、その側縁はかなり鋭く仕上げてある。」
ミロンの長はそう言い終わると、懐からその黒光りした穂先のかけらをとりだして皆に見せ、隣に座っていたカスティージョの長老に手渡した。長老は、穂先の側縁を親指の腹で触れ、その鋭さを入念に確かめた後、隣の若年寄りに廻した。
ミロンの長の話を聴き、オルノス・デ・ラ・ペーニャの若年寄りが「細身で足長の族であれば、わしらも出会ったことがある。」と、こう報告した。
「それは、この夏、我々の森でシカを追っている時だった。深い薮の中でふと気づくとなんと目の前に躰中を赤や白で塗りたくった男がひとり突っ立っている。わしも驚いたが相手もびっくりした様子だった。男は背丈ほどの槍をもっていたが、わしにむかって身構えるでもなく、しばらくはじっとわしの顔をうかがっていた。と、そこへわしらの仲間がやってきてその男を囲むかたちになった。すると男は、ようやく後ずさりを始め、我らが近づこうとするのを見てくるりと向きをかえ、そのまま走って木立の中に消えた。今でも覚えているが、男は躰全体が浅黒く、髪も眼も黒かった。躰中に塗りたくったあの赤や白の泥の色がなんとも恐ろしかった。」
「恐ろしいといえば、この夏の終わり頃にわしらのところではこんなことがあった。」
と、続いてエル・ペンドの若年寄の一人が立ち上がって言った。
「それは、女たちがこの下の渓流沿いに群生する木イチゴを集めに出た時だった。陽がおちる頃には、皆、この住処に引き上げてきたが、ミミという一番若い娘がひとりだけ遅れているようだった。暫く待ったが、あたりがかなり暗くなり始めてもまだ娘の姿は現れなかった。そこで男たちも心配になり、我ら全員で谷間の川べりまで探しにおりた。そして、木イチゴの繁みの中を暫く探しまわった時だった。谷間は既に暗い陰闇で閉ざされていたが、それでも川向うの繁みの中にかすかにヒトの動く気配を感じた。もしやと思い、眼を凝らして見た。すると、なんと大きな細身の男が3人、女ひとりを草むらの中にむりやり押し倒そうとしているところだった。女はミミだった。ミミは手足をばたつかせて死にもの狂いで抵抗している様子だった。わしは、もちろん、大声で怒鳴った。その声に兄弟たちも気づき、川向こうをめざして一斉に川の流れに踏み込んでいった。と、われらに気づいた3人は、一瞬こちらを凝視するやそのままミミを置き去りにして脱兎のごとく繁みの奥に逃げて行った。ミミは健気にもすぐ立ちあがり、逃げ去る男たちの後ろ姿をじっと眼で追っていた。近づいてみると、特に大した怪我はなさそうだった。が、さすがのミミも恐ろしかったのだろう、顔は青ざめ、躰中に震えがきているのがすぐにわかった。」
これまでの報告は、あの足長の異族を見たか、遭遇しただけの話であったが、今の話は、実際に一族の若い娘がさらわれ、陵辱されたという、男たちにとっては許し難い事件であった。
「それでその娘には、何事もなかったのか」と真向うに座っていた若年寄のひとりが質問した。
一族の男たちにとって、同胞の娘が異族の男に犯されたかどうかは、極めて重大なことであった。一族にあっては、力ずくで女を犯すことは親兄弟で交わる事と同じくタブーとされていた。ましてや、異族の男に力ずくで犯されたとなれば、その男はもちろん、犯された女の立場も危ういものとなった。異族の子を宿すことは、一族にとって絶対に許されざることであったからである。
「それはミミに確かめたが、力で押さえつけられた以外は何もなかったらしい。そこで、その日は、既に陽が落ちる頃でもあったため、奴らを追う事はせずにそのままミミを連れて引き上げてきた。」
「翌朝は、あたりを探したのか。」
「もちろん、日の出から日暮れまで一日中探した。が、ウチの若い者5人が全員で探しまわったがこの近くにはどこにも見当たらなかった。多分、前の晩の内にかなり遠くまで逃げてしまったのだろう。いずれにしても何時かは捕らえて罰を与えなければならない。で、そのミミなのだが…」
と、ここまで話をしたところで若年寄りはひと呼吸おき、少し離れた場所にずっとしゃがみ込んでこちらを見ていた女をひとり手で招き寄せた。炉の炎で照らし出された女は、まだ十八そこそこの小娘だった。身の丈は約155センチ前後。肩先から胸元まで垂れ下がった髪の毛は燃えるような赤。この部族にしてはやや小ぶりの丸顔で、くりくりとした利発そうな眼が眉の下の窪みで蒼く輝いていた。その娘がミミであることは、紹介されるまでもなかった。ミミは、長老たちを前に軽く頭を下げ、自分を呼んだ若年寄の言葉をやや不安気な面持ちで待った。
何事もなかったとはいえ、あの時のことを、再び問われることが恐ろしかったからである。が、問題はその事ではなかった。
ミミは、実は、あの時、男たちが逃げ去る際にひとりの男の首から石の飾り物をひとつ引きちぎって持ち帰っていた。若年寄は、その飾り物を皆に見てもらうようにミミに促した。そこで、ミミはそれまで握りしめていた左手を開き、「これがあの男のひとりから奪ったものです。」と言いながら細い革紐のついた小指大の黒い石をひとつ右手にかざして見せた。それは、かなり簡略化したものではあったが、豊かな尻を後ろに突き出し、やや前かがみの姿勢をとった成熟した女の像で、赤毛の一族の者にとっては初めて眼にするものだった。
その日、カスティージョからは、長老を補佐するかたちで二番槍のドムドムとその息子衆のマオマオと呼ばれる青年が一人付き添っていた。ドムドムは、カスティージョでは石器作りの達人でもあり、またマオマオもドムドムについて石器作りの修行中であったため、ミミのかざしていた黒い石の飾り物がこの地方の川原でもよく見る「黒玉」であることが二人にはすぐにわかった。が、二人が驚いたのは、その石の像の頭の端に革紐を通すための小さな穴があけられていたことだった。
「黒玉はものすごく硬い石である。その黒玉をあんなヒトの形に仕上げることもさることながら、その頭にあのような小さな穴をあけるとは、一体、彼らはどんな道具をつかったのだろうか。」
そう自問したドムドムは、ミミに請うてその黒玉の飾り物を自分の手にとって革紐からはずし、その穴のあき具合を注意深く観察した。穴はどうやら何か硬いもので丹念にこじ開けたようであった。ドムドムは、できればこの飾り物を手本に自分でも同じような飾りものを作ってみたい衝動にかられた。
と、かたわらからその黒玉の飾り物を見ていたカスティージョの長老がドムドムの思いをさえぎるように口を開いた。
「これは、たしかに女の像であるが、とするとこれはわれらの口伝にある北の異族が大事に携えていたあの<ヒト形の土の塊>と同じ類いのものかも知れない。だとすれば、この石の飾りものはあの北の異族に力と恵みを与えるものであり、逆に我らにとっては災いのもとになるやも知れない。よって、このようなヒト形の飾り物は、直ちに砕いてなきものにすべきかと思うがどうだろうか。」
カスティージョの長老のこの意見を聴き、ドムドムもマオマオもミミもやや不服そうであったが、もちろん、若年寄りたちにも若い娘にも反論する術はなかった。他の者たちの眼にもそのヒト形の像はいかにも怪しげで不吉なものに映ったようで、異論を述べるものはいなかった。
「こんなものは確かにない方がよい。」
こうして、一同、暫くは近くのものたちと話を交わしていたが、結局、ドムドムとマオマオとミミを除き、おおむね全員がカスティージョの長の意見を受け入れ、座長であるエル・ペンドの長が最後に決を下した。
「では、ヒト形の像については、カスティージョの長の意見に従い、今、この地にあるものは直ちに砕いて焼き捨て、将来についても同様とする。」
こうしてこの赤毛の一族の間では、ヒトの形を模した像は一切禁制となった。そして、ミミが奪ってきた黒玉の女の像は、直ちに皆の前で打ち砕かれ、そのまま炉の火中に投げ込まれた。
ミミの一件は、ここで落着となり、会議の話題は「この状況をどう理解し、どう対処するか」という本題に入った。そこで座長の求めにより、再びカスティージョの長がこう言い放った。
「これまでの皆の衆からの報告からしてみても、あの足長の族たちが、この地に入り込もうとしていることは明白である。なぜならば、彼らは、単なる物見のため旅ではなく、これまで我らの土地のあちこちで川原の石を採取し、川の深さを計り、塩の山を歩き回り、我らの狩りの様子をうかがっている。これらの行動は明らかに侵略のための下調べであり、とすれば我らとしては、彼らの計画は断じてこれを阻止しなければならない。そこで、そのためには、まずは我らの側からも探りの者を使わせ、あの白き山並みの向こうで、今、何が起こりつつあるかを知ることが先決かと思うがいかがであろうか。」
この提案を受けて各洞窟の長から次々に意見が出された。
ミロンの長はこう述べた。
「我らもカスティージョの長と同じ考えである。彼らの侵略の意図はあきらかであり、断じてこれを許すことはできない。敵の状況を探るためには何時でもヒトを出す用意ができている。」
オルノス・デ・ラ・ペーニャの長はこう述べた。
「我らもカスティージョの長とほぼ同じ考えである。特に寒さが厳しくなり始めてからこの方、彼らがあの白き山並みのこちら側に移りたい意図はあきらかである。ただ、いたずらに事を荒たげることは慎むべきであり、なにはともあれ我らの側からも使いを出し、彼らの状況を探る事が肝要かと思う。」
モリンの長はこう述べた。
「我らも基本的にはカスティージョの長と同じ見方である。ただし、彼らの携行する槍や川魚を採る道具、更には遠くまで槍を投げる仕掛けなどを見るにつけ、彼らの闘う力はあなどれないものがある。従って、ここは我らとしては慎重に対処し、そのためにもいち早くかれらの状況を探らなければならない。」
エル・ペンドの長は、総括してこう述べた。
「我らも皆の衆と同じ考えである。足長の異族の意図は明らかであり、ともすれば来春にも彼らの侵攻が開始されるかも知れない。ここは直ちに探りを出し、この冬、寒波がやってくる前に彼らの状況を把握しなくてはならない。」
こうして、探りを出すことが一族の総意として認められ、具体的には、若年寄たちの意見も取り入れながら「探りはカスティージョから2人、他の洞窟から各1人で合計6人。3人づつが二手に分かれて山間の道と海沿いの道を進み、今日でいうサン・セバスチアンの手前の山間に開口するエカイン洞窟で合流する。そして、その後、共にト−レ洞窟を経て海側から白き山並みの東側に回り込む」という片道約10日の行程が決められた。山間の道を行くのはカスティージョのドンドンとマオマオ、それにミロンのカインと呼ばれる若年寄りで、一旦、ミロンに集合して出発は5日後の新月の夜明け前と定められた。海沿いの道を行くのはモリンのペロンと呼ばれる若年寄り、オルノス・デ・ラ・ペーニャのベンと呼ばれる若年寄り、それにエル・ペンドのミミで、出発はそれぞれ同じく5日後の新月の夜明け前。3人は一旦、今日でいうサンタンデール湾の東の丘陵地帯に開口するラ・ガルマ洞窟に集結すること定められた。また、6人には、途中、例え異族と遭遇しても極力闘いは避けること。万一、敵に襲われることがあっても3人の内1人は必ず帰還して報告を可能にすること。道行き一宿一飯の世話になる同族に対しては礼をつくし、有事には共同して事にあたるよう我らの意思を伝えること、などが申し渡された。長老たちは、それから、探りたちの出発を祝って軽い宴会を催し、全員、エル・ペンドで一夜を明かして帰路についた。探りに選ばれた6人は、それぞれ使命を果たすべく全力をつくすことを自分にいいきかせた。そして、ドンドンとマオマオ、それにミミの場合は、本来の使命感に加え、探りを通じて知ることができるであろう異族たちの目新しい道具や飾り物やそれらを作る術について期待を膨らませた。
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