
はじめに
1997年の秋から2004年の夏にかけ、アルタミラやカスティージョ、エカイン、ラ・ガルマなどスペイン北部の洞窟に遺された後期旧石器時代の洞窟壁画ならびに動産美術の情報化のため、バスクからカンタブリア、アストリアスの各地方で確認されている約120余の壁画包含洞窟の中から主な洞窟23箇所を選んでその洞窟空間ならびに周辺景観をくまなく写真撮影する機会を得た。本稿は、その時の印象や体験をもとに今から約3万6千年から1万6千年ほど前にかけてそのスペイン北部で起こったであろう色々な出来事、中でも当時、6〜7万年以上前にアフリカを出たとされるいわゆる解剖学的現代人(ヨーロッパではクロマニヨン人)がようやくイベリア半島に進出し、それまで半島に居住していた旧人(ヨーロッパではネアンデルタール人)にとってかわったという出来事(旧人新人の交替劇)、そして、やがては同地に定着したクロマニヨン人がマグダレニアンという質的に極めて高度な表象文化を爆発的に築きあげる頃の状況をSF、つまりサイエンス・フィクションという手法で復元してみようとする試みである。
SFとはいえ、創作にあたっては科学的に到底不可能と思われるような出来事や考古・人類学的知見と著しく矛盾する話は避けることにした。むしろ逆に考古・人類学における最新の知見を骨格にして血と肉と気の部分を想像力でおぎない、結果としてネアンデルタール人とクロマニヨン人が交替する時期のスペイン北部の状況をできるだけリアルに復元することを目指した。副題としてあえて「SF的手法による思考実験先史人類学」とした所以である。従って本文中キーとなる箇所には脚注を設け、その意味や根拠となる学術論文や報告書を順次示すことにした。また、執筆中に考古・人類学的知見と矛盾する箇所が認められた場合は躊躇なく訂正あるいはシナリオそのものの変更も可能とした。なお「カンタブリアLGM」つまり「最寒冷期のカンタブリア」というタイトルは、クロマニヨン人がネアンデルタール人と交替し、洞窟壁画制作などの表象的活動が活発になるのが最終氷期の中でも最も寒冷化の進んだLGM(Cantabria in Last Glacial Maximum)の時期であったことに由来する。この著作が何時完結するかは定かではないものの、あえて眼を通してくださる諸氏にはおおいにご批判・ご教示を願う次第である。
ところで今年の6月15日、本稿の主要舞台であるカスティージョ洞窟の手形の間に遺された点描の円盤の絶対年代がウランートリウム法によって約4万8百年前、最奥部の回廊の赤い円盤の一部が約3万8千年前と測定されたことがサイエンス誌上で発表された。この約4万8百年前というのは、考古学的には中期旧石器時代のムステリアン文化期の末期に相当し、3万8千年前というのは、ムステリアンからオーリネシアン文化期へ移行する過程で見られるシャテルペロニアンという新旧入り交じった文化期に相当する。とすると、それらの円盤を描いたヒトは必ずしもクロマニヨン人ではなく、ネアンデルタール人であった可能性も排除できなくなった。本稿では、解剖学的現代人がイベリア半島に進出した時期を3万5千年前頃とする説をとり、カスティージョ洞窟最古の壁画はネアンデルタール人によって描かれたとして話を進めることにした。
深沢武雄
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