この辺りに、住居跡や、規模は小さいものの壁画集合体が集中しているのは、旧石器時 代の狩猟民が利用できる洞窟が数多くあったことや、それらの洞窟の居住性が、特に南 向きの洞窟に関しては良かったことなどが理由と思われる。その上、有蹄類の群が、夏 になるとアソン川の下流域から、高地にあるカランサ川流域の広々とした斜面の牧草地 へ移動するのを監視できる場所であるという、旧石器時代の狩猟者にとって良い立地条 件でもあったからである。
ポンドゥラ洞窟は、アルコやモーロの洞窟と同じく、最近、カンタブリアの考古学グ ループであるCAEAPのメンバーによって発見された。その調査はカンタブリア大学で今 も続けられている。
西向きと南向きの2つの入口があるこの洞窟には、広々とした入口ホールがあり、そこ は居住性に富み、現在では近くの村落の羊やヤギの群がこの場所を利用している。
旧石器時代の壁画はこのホールの奥の、かなり暗くなる場所から始まっている。メイン ギャラリーの左壁の高いところに、約9メートルの長さの大パネルがあり、赤い描線や 染みが多数あるが、これはかなりぼやけて消失してきており、後に起きた鍾乳石の凝結 によっても影響を受けている。とはいえ、今日事実上失われてしまったこの壁面の広範 な構図の中でも、顔料の残りを7つのかたまりに分けることができ、おそらく少なくと もこれだけの数の絵が描かれていたと思われる。洞窟内部の絵は、もう少し保存状態が 良い。
中に入ると、そこは真っ暗闇で、メインギャラリーの左側高い位置に、非常に小規模な 部屋が一つ開口している。そこの壁面は、天然の劣化によってかなり表面が変質してい るが、互いに背を向け合い隣合せになった、黄色あるいは薄茶色のメジカが2つ残って いる。これはこの色の顔料で輪郭線を描き、中はそれより明るい色調で平塗りされてい るものである。その近くには、同じ色の描線がいくつかあり、また、形を形成しない刻 線のまとまりも2組ある。この部屋の近くにある天井には、赤の描線の残りがあるが、 その表面に形成された鍾乳石の流れで覆われている。しかしこの鍾乳石の凝結も、その 後、その上に馬が1対線刻された為、何ヶ所かが分断された形になっている。この馬 は、旧石器時代簡略な様式の絵で、単線で線刻されたものだが、現在ではその線も年月 による風化を受けて見分け辛い。この鍾乳石の凝結によって、同じパネルに描かれたこ れらの重なった絵が、厳密にいって同じ時期に描かれなかったことが分かる。
メインギャラリーのもう一方の側壁には、最近になって若いオジカの、頭部から首、胸 にかけて描いた線画が見つかっている。それは太めの赤い線で描かれており、首の後ろ から胸にかけての部分はスタンプ式の点状となっている。この絵は、網の目状に形成さ れた鍾乳石の凝結でほぼ完全に覆われてしまっている。
最後に、洞窟の奥で、天井がかなり低く、アクセスがかなり難しい部分に、赤の顔料の 染みがあちこちにある。又、判別できないが何かの形の名残である赤の線や、四角い具 象の未完のスケッチ、黄色っぽい色あるいは薄茶色の線で描かれた馬の頭部、そして形 を形成していない単純で幅のある、刻みの浅い刻線のまとまりが2組ある。
それゆえ、ここは非常に小さい壁画集合体で、その技法や様式の点で、近くのアルコA やアルコB-C、コバラナス、ラ・アサなどの洞窟とあまり違いが見られない。これらの 洞窟に描かれた絵すべては、ルロア・グーラン分類の様式III、つまりソリュートレ文 化に対応すると考えられる。