鳥居龍蔵の世界 Page12



鳥居龍蔵 著書・論文目録
「東京大学総合研究資料館標本資料報告 第18号、1990」より転載、増補。


台湾関係著書・論文目録
満州関係著書・論文目録
千島・樺太関係著書・論文目録
沖縄関係著書・論文目録
西南中国関係著書・論文目録
朝鮮関係著書・論文目録


■台湾関係著書・論文目録

土田 滋・姫野 翠・末成 道男・笠原 政治 編

以下の目録は『鳥居龍蔵全集』第5巻、第11巻(1976年 朝日新聞社)によって作製した。 写真判定の際の参考のため倉卒の間にまとめたので、同年の出版物の中での順序付けには甚だ遺憾な点が多い。しかしすでにこの順にしたがってコメントをつけてしまったので、今この段階で訂正をほどこせば混乱をいっそう助長するであろうことをおそれ、敢えてこのままにしておくことにした。諒とされたい。

1896(明治29)「鳥居龍蔵氏の近信」『徳島日日新聞』明治29年9月4日;『鳥居龍蔵全集』第11巻:459-460
1897 a (明治30)「台湾生蕃地探検者の最も要す可き知識」『太陽』3巻15号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:408-415
1897 b (明治30)「東部台湾、阿眉種族の土器製造に就て」『東京人類学会雑誌』第135号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:561-572[絵][写真](重要)
1897 c (明治30)「東部台湾に於ける各蕃族及び其分布」『東京人類学会雑誌』第136号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:464-485[絵](重要)
1897 d (明治30)「東部台湾ニ棲息セル平埔種族」『東京人類学会雑誌』第132号:『鳥居龍蔵全集』第11巻:521-525[写真](重要)
1897 e (明治30)「鳥居龍蔵氏よりの通信 坪井正五郎氏へ」『東京人類学会誌』第141号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:404-405[給]
1897 f (明治30)「東部台湾諸蕃族に就て」『地学雑誌』9集104・105巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:485-505[絵](重要)
1897 g (明治30)「有蘇蕃の測定」『地学雑誌』9集107巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:553-554
1897 h (明治30)「台湾通信 紅頭嶼行」『地学雑誌』9輯107巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:592-594
1897 i (明治30)「台湾に於ける有史以前の遺跡」『地学雑誌』9集107巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:397-399
1897 j (明治30)「鳥居龍蔵氏よりの通信(坪井正五郎氏へ)」『東京人類学会雑誌』第141号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:404-405
1898 a (明治31)「紅頭嶼の土人は如何なる種族より成る乎」『地学雑誌』10輯116巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:579-584[写真]
1898 b (明治31)「紅頭嶼通信」『地学雑誌』10輯109巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:594-597
1898 c (明治31)「台湾人類学調査略報告」『東京人類学会雑誌』第144号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:505-509
1898 d (明治31)「鳥居龍蔵氏の蕃人調査」『徳島日日新聞』明治31年12月10日;『鳥居龍蔵全集』第11巻:460-461
1898 e (明治31)「蕃薯寮萬斗社生蕃ノ身体測定」『東京人類学会雑誌』第146号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:602-605[絵](重要)
1898 f (明治31)「台湾基隆ノ平埔蕃ノ体格」『東京人類学会雑誌』第153号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:549-553[絵]
1899 a (明治32)「台湾東南部の人類学的探検」『東京人類学会雑誌』第155号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:462-464
1899 b (明治32)「台湾阿眉蕃ノ弓箭放射法二就テ」『東京人類学会雑誌』第161号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:572-575[絵](重要)
1899 c (明治32)「南部台湾蕃社探検談」『地学雑誌』11集125・126巻:『鳥居龍蔵全集』第11巻:415-422(重要)
1899 d( 明治32年3月)『人類学写真集 台湾紅頭嶼之部』東京帝国大学理科大学:『鳥居龍蔵全集』第11巻:329-353[写真](重要)
1900 a (明治33)「新高山地方に於ける過去及び現在の住民」『東京人類学会雑誌』第170号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:575-579[絵]
1900 b (明治33)「埔里社方面にて調査せし人類学的事項」『東京人類学会雑誌』第174号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:525-529(重要)
1900-01(明治33-34)「台湾埔里社霧社蕃の言語(東部有黥面蕃語)」『東京人類学会雑誌』第176-178号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:529-539「語彙」(重要)
1901 a (明治34)「台湾阿里山蕃の土器作り」『東京人類学会雑誌』第178号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:558-560[絵](重要)
1901 b (明治34)「東部有黥面蕃語ト苗族語ノ比較」『東京人類学会雑誌』第179号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:539-541「語彙」(重要)
1901 c (明治34)「台湾埔里社(霧社)蕃(東部有黥面蕃)の神話」『東京人類学会雑誌』第180号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:557-558
1901 d (明治34)「台湾台東方面の有黥面蕃語と霧社蕃語」『東京人類学会雑誌』第181号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:542-546「語彙」(重要)
1901 e (明治34)「紅頭嶼土人の頭形」『東京人類学会雑誌』第182号:『鳥居龍蔵全集』第11巷:584-589
1901 f (明治34)「埔里社山上万大社の蕃人は東部黥面蕃にあらず」『東京人類学会雑誌』第183号:『鳥居龍蔵全集』第11巻:546-549「語彙」(重要)
1901 g (明治34)「黥面蕃女子の頭形」『東京人類学会雑誌』第18『鳥居龍蔵全集』第11巻:555-557
1901 h (明治34)「台湾に於ける小人の口碑」『東京人類学会雑誌』第188号;『鳥居龍蔵全集』第11巷:597-598
1901 i (明治34)「紅頭嶼土人の身長と指極」『東京人類学会雑誌』第189号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:589-592
1901 j (明治34)「台湾蕃地探検談」『地学雑誌』13集146・147・148巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:422-431(重要)
1901 k (明治34)「台湾中央山脈の横断」『太陽』7巻9・10・12・13号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:431-459(重要)
1902 (明治35年7月)『紅頭嶼土俗調査報告』東京帝国大学;『鳥居龍蔵全集』第11巻:281-328[絵](重要)
1905 (明治38)「台湾生蕃に就ての参考書」『東京人類学会雑誌』第226号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:405-408
1907 (明治40)「台湾の小人はニグリトーなりしか」『東京人類学会雑誌』第252号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:598-601
1909 (明治42)「台湾各蕃族の頭形論」『東京人類学会雑誌』第282-285号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:509-521
1910 (明治43年12月)『人類学研究・台湾の原住民(一)序論(Etudes Anthropologiques.Les Aborigénes de Formose.(1r Fascicule.)Introduction)』東京帝国大学理科大学紀要第28冊第6編;『鳥居龍蔵全集』第5巻:1-74[写真](重要)
1911 (明治44)「台湾台北円山貝塚」『人類学雑誌』第27巻1号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:403-404[写真]
1912 (明治45年1月)『人類学研究・台湾の原住民(二)ヤミ族(Etudes Anthropologiques.Les Aborigénes de Formose.(2e Fascicule.)Tribu Yami)』東京帝国大学理科大学紀要第32冊第4編;『鳥居龍蔵全集』第5巻:75-120[写真][絵](重要)
1926 (大正15)「台湾の古代石造遺物に就いて」『民族』1巻3号:『鳥居龍蔵全集』第11巻:399-403[写真]
1953 (昭和28)『ある老学徒の手記 考古学とともに六十年』朝日新聞社


■満州・蒙古関係著書・論文目録

谷野 典之 編

1896 a (明治29))「遼東半島」『太陽』2巻6、7、9、11、12、14、15号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:573-597
1896 b (明治29)「遼東半島に於ける高麗の考古学上の事実」『史学雑誌』7編8号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:598-603
1905 (明治38) 「満洲調査復命書」『官報』12月9日付・『史学雑誌』17編2・3・4号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:534-542
1905-06( 明治38-39)「満洲に於ける人類学的視察談」『東京人類学会雑誌』237・8号;『鳥居龍蔵全集』第9巻:551-567
1906 (明治39) 「満文字の地図と職貢図」『学燈』10巻1号;『鳥居龍蔵全集』第10巻:532-534
1907 a (明治40)「入蒙飛信」『日本美術』95号;『鳥居龍蔵全集』第9巻:567-569
1907 b (明治40)「蒙古語に就て」『東京人類学会雑誌』251号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:395-398
1907 c (明治40)「我国のメルヘン(Märchen)と蒙古のメルヘン(Märchen)とに就て」『東亜の光』2巻4号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:475-481
1907 d (明治40)「日本語と蒙古語の親族的関係」『太陽』13巻5号:『鳥居龍蔵全集』第8巻:398-405
1907 e (明治40)「蒙古の楽器」『日本美術』100号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:49ト493
1907-08 (明治40-41) 「日豪類似語に就て 第一、二、三、四回」『史学雑誌』18編11号-21編8号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:405-471
1908 (明治41) 「満洲の石器時代遺蹟と朝鮮の石器時代遺蹟との関係に就て」『東京人類学会雑誌』262号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:546-552
1909 a (明治42)「蒙古旅行談(興安嶺及びシラムレン方面)」『東洋時報』124-5;『鳥居龍蔵全集』第2巻:545-566
1909 b (明治42)「シラムレン及興安嶺地方旅行談」『地学雑誌』21巻245号;『鳥居龍蔵全集』第9巻:545-550
1909 c (明治42)「奈曼族の風俗」『東京人類学会雑誌』278号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:520-521
1909 d (明治42)「蒙古風俗一斑」『東亜之光』4巻5・6・7号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:482-490
1909 e (明治42)「蒙古老蛤河水源地の古砦跡」『東京人類学会雑誌』279号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:519-520
1909 f (明治42)「有史以前の満洲の民族」『中央公論』24年7号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:570-573
1909 g (明治42)「輿安嶺附近に於ける薩満教の遺風」『東京人類学会雑誌』280号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:495-500
1909 h (明治42)「マルコポロ旅行記中のNatigayとOngotに就て」『東京人類学会雑誌』281号;『鳥居龍蔵全集』第7巻:607-610
1909 i (明治42)「南満洲旅行談」『東洋時報』131・132号;『鳥居龍蔵全集』第12巻:567-595
1909 j (明治42)「マルコポロ旅行記に見ゆる蒙古人の風習」『中央公論』24年10号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:521-523
1909 k (明治42)「老鉄山麓の貝殻墓と其遺物」『東京人類学会雑誌』285号;『鳥居龍蔵全集』第8巷:617-618
1910 a (明治43)「シラムレン流域及興安嶺方面に於ける東胡民族の遺跡」『地学雑誌』22年256・257・258号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:500-518
1910 b (明治43)「洞溝に於ける高句麗の遺跡と遼東に於ける漢族の遺跡」『史学雑誌』21編5号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:603-617
1910 c (明治43)『南満洲調査報告』東京帝国大学刊;『鳥居龍蔵全集』第10巻:1-165
1911 a (明治44)「遼の上京と其遺品」『國華』21第248・253号;『鳥居龍蔵全集』第6巻:576-587
1911 b (明治44)『蒙古旅行』博文館刊;『鳥居龍蔵全集』第9巻:ト284
1913 (大正2)「満洲より北朝鮮の旅行」『東洋時報』179・180号;『鳥居龍蔵全集』第12巻:620-637
1914 a (大正3)「考古学民族学研究・東蒙古の原住民」Etudes Archéologiques de Ethnologiques.Populations Primitives de la Mongolie Orientale.『東京帝国大学理科大学紀要』36冊8編;『鳥居龍蔵全集』第5巻:121-197
1914 b (大正3)「人類学研究・満州族」Etudes Anthropologiques.Les Mandchoux.『東京帝国大学理科大学紀要』36冊8編;『鳥居龍蔵全集』第5巻:199-229
1915 (大正4)「考古学民族学研究・南満洲の先史時代人」Etudes Archéologiqueset Ethnologlques.Populations Préhistoriques de la Mandchourie Méridionale.『東京帝国大学理科大学紀要』36冊8編;『鳥居龍蔵全集』第5巻:231-309
1917-18 (大正6-7)「支那周囲の民族」『東洋時報』231・232号;『鳥居龍蔵全集』第12貴:650-664
1920 a (大正9「西伯利亜の有史以前(上)」『人類学雑誌』35巻1号:『鳥居龍蔵全集』第7巻:516-531
1920 b (大正9)「土俗学上より観たる黒龍江畔の民族」『人類学雑誌』35巻3・4合併号;『鳥居龍蔵全集』第7巻:560-580
1920 c (大正9)「東部西比利亜旅行談」『東洋時報』259・260・261号;『鳥居龍蔵全集』第12巻:664-677
1921 (大正10)「満蒙の有史以前(学位記)」『官報』大正10年10月5日;『鳥居龍蔵全集』第8巻:525-528
1922 a (大正11)『北満洲及び東部西伯利亜調査報告』(朝鮮総督府古蹟調査特別報告第二冊)朝鮮総督府;『鳥居龍蔵全集』第8巻:259-280
1922 b (大正11)「文献史上より遡り観たる南満洲最古の住民」『人類学雑誌』37巻10号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:552-569
1922 c (大正11)「文献史上より遡り観たる東蒙古最古の住民」『人類学雑誌』37巻12号:『鳥居龍蔵全集』第8巻:471-475
1923 (大正12)「北満洲東間島にある堡寨と竪穴」『人類学雑誌』38巻5号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:570
1924 (大正13)『人類学及び人種学上より見たる北東亜細亜』同書店;『鳥居龍蔵全集』第8巻:1-258
1926 a(大正15)『極東民族 第一巻』文化生活研究会;『鳥居龍蔵全集』第7巻:99-317
1926 b ( 大正15)「蒙古に於けるアメリカ学術探検隊の仕事に就いて」『太陽』32巻5号:『鳥居龍蔵全集』第8巻:493-495
1927 a (昭和2)「鳥居きみ子著『土俗学上より観たる蒙古』跋文」昭和6年六文館刊;『鳥居龍蔵全集』第8巻:524-525
1927 b (昭和2)「満蒙通信 其一、其二」『武蔵野』10巻2・3号;『鳥居龍蔵全集』第9巻:569-571
1928 a (昭和3)『満蒙の探査』萬里閣書房;『鳥居龍蔵全集』第9巻:285-393
1928 b (昭和3)「西比利亜・満蒙通信」『武蔵野』11巻5・6号・12巻2号;『鳥居龍蔵全集』第7巻:617-623
1928 c (昭和3)「ネストリアン教の十字発見」『中央公論』43年9号;『鳥居龍蔵全集』第12巻:689-690
1928 d (昭和3)「満蒙に於ける人類学上の研究に就きて」『啓明会講演集』25回;『鳥居龍蔵全集』第6巻:559←576
1928 e (昭和3)「画像石のある古墓」『中央公論』43年10号;『鳥居龍蔵全集』第12巷:690-691
1929 (昭和4)『西比利亜から満蒙へ』大坂屋号書店;『鳥居龍蔵全集』第10巷:167-217
1931 (昭和6)「鳥居研究員遼陽発掘報告講演」『東方学報』東京1号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:618-620
1932 a (昭和7)『満蒙を再び探る』六文館刊;『鳥居龍蔵全集』第9巻:395-542
1932 b (昭和7)「南満洲および東蒙古の新石器時代遺物」Restes Néoithiques de la Mandchourie Méridionale et de la Mongolie Orientale.第一回極東先史学者学会研究発表:『鳥居龍蔵全集』第5巻:657-658
1932 c (昭和7)「満洲国に於ける五大遺跡に就て」『歴史教育』7巻2号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:542-546
1932 d (昭和7)「猴王孫呉空(遼代の壁画)」『武蔵野』18巻2号;『鳥居龍蔵全集』第6巻:602-604
1932 e (昭和7)「満洲だより」『武蔵野』19巻2・3号;『鳥居龍蔵全集』第9巻:576-578
1932 f (昭和7)「朝鮮・満洲の磨製石器に就て」『上代文化』8号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:643-646
1932 g (昭和7)「満洲国より武蔵野へ」『武蔵野』19巻4号;『鳥居龍蔵全集』第9巻:578-579
1932 h (昭和7)「私共の今回旅行した地方と其の仕事」『ドルメン』1巻8号:『鳥居龍蔵全集』第6巻:654-656
1932 i (昭和7)「我が国と契丹文化の関係」『セルパン』22巻16号;『鳥居龍蔵全集』第6巻:650-654
1933 a (昭和8) 「遼の皇都とその陵墓」『国際写真情報』11巻1号;『鳥居龍蔵全集』第12巻:682-684
1933 b (昭和8) 「契丹の陵墓とその陵碑に就いて」『上代文化』9号;『鳥居龍蔵全集』第6巻:609-616
1933 c (昭和8) 「ホロンパイルと熱河について」『歴史公論』2巻4号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:528-532
1933 d (昭和8) 「私と熱河省の研究に就て」『ドルメン』2巻4号;『鳥居龍蔵全集』第8巻:532-534
1933 e (昭和8) 「東蒙古に存在する金剛界曼陀羅の磚塔」『中央美術』(復興)1号;『鳥居龍蔵全集』第6巻:622-628
1934 a (昭和9) 「満洲・蒙古を探る」『中央公論』49年2号;『鳥居龍蔵全集』第12巻:693-700
1934 b (昭和9) 「近頃発見せられた契丹文字に就て」『書物展望』4巻3号;『鳥居龍蔵全集』第6巻:677-681
1934 c (昭和9) 「遼代陵墓内の壁画に就て」『中央美術』8号;『鳥居龍蔵全集』第6巻:595-599
1934 d (昭和9) 「契丹の残した遺蹟の探査に就て」『歴史科学』3巻4号:『鳥居龍蔵全集』第6巻:618-622
1935 (昭和10) 「満洲北支通信」『武蔵野』22巻12号;『鳥居龍蔵全集』第9巻:579-580
1936 a (昭和11)「遠の王陵壁画に就て」『ミネルバ』4号;『鳥居龍蔵全集』第6巻:600-602
1936 b (昭和11)『考古学上より見たる遼之文化図譜 第一冊~第四冊』東方文化学院東京研究所刊
1936 c (昭和11)「満洲陵墓と景教との関係に就て」『史学雑誌』47巻6号;『鳥居龍蔵全集』第6巻:604-605
1936 d (昭和11)『満蒙其他の思ひ出』岡倉書房刊;『鳥居龍蔵全集』第12巻:1-136
1937 a (昭和12)『遼の文化を探る』章華社刊;『鳥居龍蔵全集』第6巻:369-556
1937 b (昭和12)「景教に関する画像石」『考古学雑誌』27巻2号:『鳥居龍蔵全集』第6巻:605-609
1939 (昭和14)「遼の中京城内に存在する石器時代の遺蹟」『東方学報』東京9冊;『鳥居龍蔵全集』第6巻:587-595
1940 a (昭和15)「北魏時代の下花園石窟寺」A Pei Wei Buddhist Cave Temple atHsia-Hua-Ytian.Occasional Papers,Harvard-Yenching Institute,Peking Office 1940;『鳥居龍蔵全集』第5巻:671-680
1940 b (昭和15)「契丹黒山嶺考」『燕京学報』28期;『鳥居龍蔵全集』第6巻:33-46
1941 (昭和16)「契丹之角砥」『燕京学報』29期;『鳥居龍蔵全集』第6巻:45-56
1942 (昭和17)『遼代の画像石墓』Sculptured Stone Tombs of the Liao Dynasty.Harvard-Yenching Institute,1942;『鳥居龍蔵全集』第5巻:555-638
1943 (昭和18)「契丹と中央亜細亜との服装の類似に就て」『中央亜細亜』2巻2期;『鳥居龍蔵全集』第6巻:628-641
1944 (昭和19)「再び契丹と中央亜細亜との服装と建築の類似に就て」『中央亜細亜』3巻1・2期合刊;『鳥居龍蔵全集』第6巻:642-650
1946 a (昭和21)「石面彫刻の渤海人の風俗とササン・ベルシア式胡瓶」石面彫刻之渤海人風俗与薩珊式胡瓶『燕京学報』30期;『鳥居龍蔵全集』第6巻:21-31
1946 b (昭和21)「ササン・ペルシア様式の瓶と渤海人の風習」Vases of the Sas-Sanian Style and the Ways and Manners of the Pohai People.『燕京学報』30期;『鳥居龍蔵全集』第6巻:31
1946 c (昭和21)「中国支石墓(石棚)の研究」中国石棚之研究『燕京学報』31期;『鳥居龍蔵全集』第6巻:1-19
1947 (昭和22)「奴児干都司考」『燕京学報』33期;『鳥居龍蔵全集』第6巷:295-350
1948 a (昭和23)「金上京城仏寺考」『燕京学報』34期;『鳥居龍蔵全集』第6巻:273-293
1948 b (昭和23)「金の上京城及びその文化」金上京城及其文化『燕京学報』35期;『鳥居龍蔵全集』第6巻:209-272
1949 (昭和24)「遼の上京城内遣存の石人考」遼上京城内遺存之石人考『燕京学報』36期;『鳥居龍蔵全集』第6巻:57-81
1950 (昭和25)「遠の中京城内遣存の二石像考」遼中京城内遣存之二石像考『燕京学報』38期;『鳥居龍蔵全集』第6巻:83-108
1951 (昭和26)「遼上京城の南、伊克山上の遼代仏剃」遼上京城以南伊克山上之遼代仏刺『燕京学報』40期;『鳥居龍蔵全集』第6巻:109-207
1953 (昭和28)『ある老学徒の手記』朝日新聞社;『鳥居龍蔵全集』第12巻:137-342


■千島アイヌ関係著書・論文目録

中川 裕編

以下の目録は『鳥居龍蔵全集』第5巻、第7巻、第12巻(1976年 朝日新聞社)によって作 成した。

1895 (明治28)「アイヌの木偶と云へる物」『東京人類学雑誌』109号;『鳥居龍蔵全集』第7巻:441-443
1899 (明治32)「千島土人制作の木偶」『東京人類学雑誌』163号;『鳥居龍蔵全集』第7巻:443-445
1902 (明治35)「千島土人の土俗」『東京人類学雑誌』190号;『鳥居龍蔵全集』第7巻:439-441
1903 a (明治36)『千島アイヌ』吉川弘文館;『鳥居龍蔵全集』第7巻:1-98
1903 b (明治36)「北千島アイヌの入墨に就て」『東京人類学雑誌』;『鳥居龍蔵全集』第7巻:445-447
1904 (明治37)「千島アイヌに就いて」『地学雑誌』16巻191・192号;『鳥居龍蔵全集』第7巻:425-435
1913 (大正2)「民族学上千島アイヌの位置」『民俗』1年2報;『鳥居龍蔵全集』第12巻:700-706
1919 (大正8)『考古学民族学研究・千島アイヌ』Etudes Archéologiques et Ethnologiques.Les Aenou des Iles Kouriles.東京帝国大学理科大学紀要第42冊第1編;『鳥居龍蔵全集』第5巻:331-553
1933 (昭和8)「北千島アイヌの仮面」『ドルメン』2巻1号;『鳥居龍蔵全集』第7巻:447-449
1939 (昭和14)「ミルン氏と私の北千島探査に就て」『武蔵野』26巻4号;『鳥居龍蔵全集』第7巻:435-438


■沖縄関係著書・論文目録

笠原 政治編

以下の目録は『鳥居龍蔵全集』第5巻、第7巻、第12巻(1976年 朝日新聞社)によって作 成した。

1894 a (明治27)「琉球二於ケル石器時代ノ遺跡」『東京人類学会雑誌』94号;『鳥居龍蔵全集』第4巻:611-612
1894 b (明治27)「琉球諸島女子現用ノはけだま及ビ同地方掘出ノ曲玉」『東京人類学会雑誌』96号;『鳥居龍蔵全集』第4巻:612-615
1897 (明治30)「日本古代の神話と宮古島の神話」『東京人類学会雑誌』130号;『鳥居龍蔵全集』第4巻:609-610
1904 a (明治37)「森山氏の琉球語のことに就て」『東京人類学会雑誌』222号;『鳥居龍蔵全集』第4巻:625-628
1904 b (明治37)「沖縄人の皮膚の色に就て」『東京人類学会雑誌』223号;『鳥居龍蔵全集』第4巻:616-625
1905 a (明治38)「沖縄諸島に住居せし先住人民に就て」『東京人類学会雑誌』227号;『鳥居龍蔵全集』第1巻:24ト248
1905 b (明治38)「八重山の石器時代の住民に就て」『太陽』第11巻5号;『鳥居龍蔵全集』第1巻:248-256
1918 (大正7)『有史以前の日本』磯部甲陽堂(大正14:改訂版);『鳥居龍蔵全集』第1巻:167-453
1953 (昭和28)『ある老学徒の手記』朝日新聞社;『鳥居龍蔵全集』第12巻:137-343


■西南中国関係著書・論文目録

曽 士才編

以下の目録は『鳥居龍蔵全集』第5巻、第7巻、第12巻(1976年 朝日新聞社)によって作成した。

1901 (明治34)「東部有黥面蕃語と苗族譜の比較」『東京人類学雑誌』179:『鳥居龍蔵全集』第11巻:539-541
1903 a (明治36)「清国雲南玀猓調査」『東京人類学会雑誌』204;『鳥居龍蔵全集』第10巻:576-580
1903 b (明治36)「苗族と玀猓に就て」『東洋学芸雑誌』20-259;『鳥居龍蔵全集』第11巻:357-368
1903 c( 明治36)「支那に於ける苗族の地理学的分布並にその現状」『地学雑誌』15-173,174;『鳥居龍蔵全集』第11巻:368-383
1903 d (明治36)「支那の苗族」火曜会講演;『鳥居龍蔵全集』第12巻:713-729
1903 e (明治36)「清国西南部人類学上取調報告」『東京人類学会雑誌』208;『鳥居龍蔵全集』第10巻:553-559
1903 f (明治36)「玀猓の文字」『学燈』7-10:『鳥居龍蔵全集』第10巻:586-594
1903 g (明治36)「清国四川省の満子洞」『考古界』3-7,10,11,4-1:『鳥居龍蔵全集』第10巻:605-622
1904 (明治37)「余の携えたる一個の銅鼓に就て」『東洋学芸雑誌』21-286;『鳥居龍造全集』第10巻:626-643
1905 a (明治38)「苗族は現今如何なる状態にて存在する乎」『史学雑誌』16-3~5;『鳥居龍蔵全集』第11巻:383-396
1905 b (明治38)「玀猓の神話」『帝国文学』11-9;『鳥居龍蔵全集』第10巻:594-602
1907 a (明治40)『苗族調査報告』東京帝国大学(理科大学人類学教室)刊
1907 b (明治40)「玀猓種族の体質」『東京人類学会誌』257,261;『鳥居龍蔵全集』第10巻:580-586
1916 (大正5)「貴州雲南の苗族」『東洋時報』209,210;『鳥居龍蔵全集』第12巻:637-650
1918 (大正7)『有史以前の日本』磯部甲陽堂刊;『鳥居龍蔵全集』第1巻:167-453
1923( 大正12)「支那の南蛮に弓箭なきか」『人類学雑誌』38-6;『鳥居龍蔵全集』第10巻:574-576
1924 (大正13)『日本周囲民族の原始宗教』岡書院刊;『鳥居龍蔵全集』第7巻:319-422
1926 (大正15)『人類学上より見たる西南支那』冨山房刊;『鳥居龍蔵全集』第10巻:219-521※『中国の少数民族地帯をゆく』朝日選書1980として再刊
1953 (昭和28)『ある老学徒の手記-考古学とともに六十年』朝日新聞社:『鳥居龍蔵全集』第12巻:137-343


■朝鮮関係著書・論文目録


末成 道男 編

1896 (明治29年)「遼東半島ニ於ケル高麗ノ考古学上ノ事実」『史学雑誌』7-8(『鳥居龍蔵全集』第8巻:598-603)
1896 (明治29年)「高麗種族の文様」『東京人類学会雑誌』123(『鳥居龍蔵全集』第8巻:620-625)
1910 a (明治43年)「満州に於ける高句麗の遺跡と遼東に於ける漢族の遺跡」『史学雑誌』21-5(『鳥居龍蔵全集』第12巻:603-617)
1810 b (明治43年)「鴨緑江畔洞溝に於ける高句麗の遺跡」『東洋時報』137・140(『鳥居龍蔵全集』第12巻:595-610)
1912 (大正1年)「咸鏡南北道及び東間嶋旅行談」『東洋時報』168・169・170(『鳥居龍蔵全集』第12巻:610-620)
1913 (大正2年)「満州より北朝鮮の旅行(高句麗遺跡の一班)」『東洋時報』168・179・180(『鳥居龍蔵全集』第12巻:620-637)
1914 a (大正3年)「鳥居龍蔵氏よりの通信」『人類学雑誌』29-2-8(『鳥居龍蔵全集』第8巻:673-677)
1914 b (大正3年)「丸都城及び国内城の位置に就きて」『史学雑誌』25-7(『鳥居龍蔵全集』第8巻:646-658)
1917 (大正6年)「朝鮮総督府大正五年度古墳調査報告 平安南道、黄海道古墳調査報告書」(『鳥居龍蔵全集』第8巻:331-392)
1920 (大正9年)「日本人は『同源』なり」『同源』1(『鳥居龍蔵全集』第12巻:538-539)
1920 (大正9年)「有史以前の日韓関係」『同源』3(『鳥居龍蔵全集』第12巻:539-541)
1921 (大正10年)「朝鮮咸鏡道と沿海州の先史時代に就いて」『東亜の光』16-3・4(『鳥居龍蔵全集』第8巻:658-667)
1922 (大正11年)「朝鮮全羅南道順天立石里に於けるメンヒルに就いて」『人類学雑誌』37-10(『鳥居龍蔵全集』第8巻:669-672)
1923 (大正12年)「有史以前に於ける朝鮮と其の周囲との関係」『朝鮮』101625-643
1924 (大正13年)「朝鮮咸鏡北道雄基湾内貝塚」(『鳥居龍蔵全集』第8巻:668)
1925 (大正14年)「朝鮮の土器作り」『有史以前の日本』(『鳥居龍蔵全集』第1巻:315-320)
1926 (昭和1年)"Les Dolmen de la Coree"(朝鮮のドルメン)『東洋文庫欧文紀要』第1巻(『鳥居龍蔵全集』第5巻:645-654)
1932 (昭和7年)「朝鮮・満州の磨製石器に就いて」『上代文化』8(『鳥居龍蔵全集』第8巻:643-646)
1953 (昭和28年)「第一回朝鮮の調査」『ある老学徒の手記-考古学とともに六十年』152-157
1953 (昭和28年)「第二-六回朝鮮の調査」『ある老学徒の手記-考古学とともに六十年』164-174
1953 (昭和28年)「昭和七年満鮮の調査」『ある老学徒の手記-考古学とともに六十年』245-246



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