マヤ神殿
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    マヤからの報告1(深沢)

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    マヤ文献

    CD−ROM
    『マヤ神殿とその壁面装飾』
  • 第1巻(プウク篇)
  • 第2巻(ベリーズ篇)
  • 第3巻(ペテン篇)

  • 遺構A2/アルトゥン・ハー遺跡(A2/ Altun Ha Ruins)


     遺構A2はAグループで唯一改修の施されていない建物である。A1でいうと、2時期目の改修の際に、基壇を共有するような形で作られた南北に細長い基壇である。正面には約28メートル幅の大階段があり、途中に踊り場をもつ。この基壇の高さは約5メートルほどであり、壇上に構造物があったかどうかはわからない。

    遺構A8はA2の背後、すなわち西側に位置する建物である。A1同様に大きく3つの改修時期が確認されている。最も古い部分についてははっきりわかっていないが、原古典期から古典期前期の初頭と思われる。2時期目になると、18メートル四方の基壇が作られた。高さは2.5メートルほどである。この時期、東側にはA2がまだ存在せず、A8は直接広場Aに面していた。正面には階段が設けられ、階段脇の壁の左右には太陽神のマスクが見られた。このマスクはA3のマスクによく似ている。壇上には、内部が細かな空間に分かれた構造物があり、床下に墓も発見された。この時期は古典期半ばの後500年頃であろう。3時期目には大きな改変が見られる。目の前にA2が建てられたこともあろうが、中心軸が南北方向に変わり、階段が南側につけられた。大きさも南北に約19メートル、東西約26メートルと拡大され、50センチほど高さも増す。3期目は古典期後期にあたる。

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