(マヤの遺跡を訪ねて:10月6日(金))


 今日はこの旅行ではじめての遊び中心の日だ。Memoの船でPnta Gordaの近くのCayesをまわった。昨日会ったアメリカ人の女性Aliもいっしょだ。まず、一番近くのCayeまで行って、船から糸をたらして釣りをした。私は釣りというものは竿の先に糸をつけて行うものだと思っていたので、糸と針だけで釣りができるということに感動した。ここの場所では1匹も釣れなかった。すぐに釣りはあきらめて、シュノーケリングをはじめた。私はシュノーケリングをやるのは生まれて始めてである。このことをMemoに言ったら信じられないと言っていた。彼は生まれてからずっと海のそばでくらしているので、泳ぎがとても上手で、魚のようにすーっと泳いでいったかと思うと、潜ってロブスターやコンク(大きな貝だった)をたくさん見つけてきた。私はというと、シュノーケリングの道具をつけて海に入ったはいいけれど、口だけで呼吸をするのに初めは慣れなかったのと、浮き輪無しでずっと浮いていることができなかったことで、すぐに疲れてしまった。そこで船に用意してあった救命具の体につける浮き袋を使うことにした。それを体の下にして浮いているのはとても楽だった。私の場合そのようにしてシュノーケリングを楽しむことができた。

 しばらくシュノーケリングをした後に、小さなCayeに上陸した。そこには古い時代からのお墓があるということで、父親が興味を示した。私たちはそんなことよりも、たくさんの熱帯のフルーツがなっている木に関心があり、それらを採って食べることに夢中になっていた。Memoはココナッツの木のようにすーっと背が高い木でも簡単に登ることができる。最初にマンゴの木に登って枝を揺らして実を落とした。それを拾って食べたが、今までたべたどのマンゴよりもおいしかった。実は私は熱帯のフルーツの独特な風味が苦手だったのだが、そのとき食べたマンゴは変な臭みはなく、ジューシーで最高においしかった。日本ではあまり食べることのないマンゴを飽きるまで食べ続けた。マンゴの他にもライムやココナッツ、パパイヤ、ブレッドフルーツがあり、Memoはそれらの実をとってきてくれた。私もココナッツの木に登ろうとしたが、危ないと言ってとめられた。採った実はお昼に食べるために船に積んだ。

 この日はあまり天気がよくなく、というかここの天気はころころ変わりやすいので、雨が降ったりやんだりしていた。このcayeにいたときにも小雨がぱらついたり、やんで日がさしたりと変な天気だった。父親が求める古いお墓は草むらをかきわけていったところにあった。平べったい石がふたつ横に並んだものだった。ばちがあたるのを恐がりながら、私たちはその石の上で写真を撮った。

 そろそろお昼時だったので、炊事ができるCayeにむかった。そこに待っていたのは2匹の犬だった。私たちの船が近づくと、喜んで吠えていた。べつにかみはしないが、体が大きかったのでじゃれてくると結構恐かった。小さな小屋もあり、食器や火を炊く場所があり、一応炊事できる状態にあった。そこでさっき採ったロブスターやコンクをMemoが料理してくれた。それから、ブレッドフルーツは皮をむいてスライスして揚げると、さつま芋のような食べ物になった。バーベキューソースをつけて食べるとおいしかった。こんな果物があるなんてはじめて知った。このときのランチはとても豪華で、ロブスター とコンクのフライに、ポテトのホイル焼き、ブレッドフルーツのフライ、サンドイッチ、ライムを絞ったジュースとメニュー豊富だった。シーフードをこんなに大量にぜいたくな食べ方をすることは日本ではまずないだろう。しかもとれたてで、身がしまっていて格別の味だった。ランチタイムの頃、雨と風が強くなって嵐のようになった。それでも、すぐにやむとわかっていたのであまり心配しなかった。犬がびしょぬれになってかわいそうだった。

 雨がやむと急いで、そのCayeをでて、次のシュノーケリングポイントに移った。今度は初めから救命具をつけて海に入った。深さ2メートル位の所で、海底には珊瑚がたくさんあり、カラフルな魚たちが泳いでいた。Memoは長い槍のようなものを持って、ロブスターやコンクを探していた。今回はロブスターではなく蟹を見つけた。コンクは結構たくさんあって、Memoは見つけると、私に潜って採りに行くようにすすめたが、潜水することができず、自分の力でとることはできなかった。かなり長いことMemoとふたりでシュノーケリングを楽しんだ後、少し寒くなったので船に戻り、燈台があるというSnake Cayeに向かった。

 そこについたときにはすでに薄暗くなっていた。それでもせっかく来たのだからと、上陸して燈台に登った。初め父親がはしごを登っていったが、真ん中くらいでギブアップした。かなり高かったので確かにこわかった。それでも私は後ろにせかされて、てっぺんに一番乗りでついた。その後、MemoとAliが登ってきて、しばらくしてもう一度挑戦した父親がどうにか上まで登ってきた。みんなが上についたときには、もう真っ暗だった。遠くにPunta Gordaの明かりが見えた。やはり高いところが恐いのか父親は一足先に降りてしまい、私たちも後から続いた。

 町への帰り道は船をとばしたせいもあるのか、とても寒かった。Aliを彼女のホテルの前で降ろしてから、私たちのホテルの方に向かった。夕飯に採った蟹を食べたかったので、Memoと待ち合わせの時間を決めて、いったんホテルに戻り、シャワーをあびた。夕飯はMemoの知っている店で食べて、蟹は彼の友達にボイルしてもらって、外で食べた。なにもつけないで食べたがそれで十分だった。今日は、Memoのおかげで生まれて初めての経験をたくさんすることができた。シュノーケリングや熱帯のフルーツ狩り、とりたてのシーフードを大量に食べたこと。これらのことは、日本ではもちろん普通のリゾートではできないことである。それに、Memoはこの2日間私にとってたのもしい兄のような存在でいてくれた。私たちを楽しませようといつも気を使ってくれていたと思う。そんな彼と知り合いになれて本当に良かったと思う。夕食の時にMemoと父親はビジネスの話をしていた。Memoは将来、もっと大きなクルーザーを持って、観光客相手のサービスの充実した仕事をしたいと言っていた。それには、もっとPunta Gordaのことを世界に知らせるべきだし、多くの人に この自然にあふれた町に来てほしいと思う。でも、多くの観光客が来るようになって、たんなるリゾート地にはなってしまったら残念だ。次に私が訪れたときにも今回と同じような素朴な町が私を迎えてくれたら、、と 旅行者のわがままながらにも思ってしまう。


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Written by Yuki Fukazawa
s92385yf@sfc.keio.ac.jp
Last revised on Dec. 23, 1995