(マヤの遺跡を訪ねて:10月3日(火))


朝目がさめたら、右のリンパ腺が痛かった。私は風邪をひくときまず喉が痛くなるので、これはまずいなと思った。昨日の夜、7時に朝食を予約しておいたので、その時間に間に合うように出かける用意をして上に上がって行ったらまだ朝食はできていなく、そのときにはじめて注文をとった。ここのおばさんは 私たちがスペイン語が話せないのに容赦なく早口のスペイン語で注文を聞いてくる。私たちが何を言って良いのかわからなくて、口ごもっていると、「この人達はスペイン語を話せないの、困ったわ」というように、ぶつぶつ言ってキッチンに戻っていった。ホテルのオーナーなのに不親切だと思ったが、もともとサービスなど期待していなかったので、それほど不愉快にもならなかった。

 30分くらいしてパンと卵とミルクティーの朝食が出来上がった。予定では7時半のバスに乗って遺跡に行くはずだったが、その予定はくるってしまった。急いで食べて、次の8時のバスに乗ろうと外で待っていた。 この日は雲が多く、雨が降りそうだったので、8時近くになって父親が雨がっぱを部屋にとりに戻った。その間にバスが来てしまい、私は"Un momento.Mi padre."と語句を並べて、運転手に待ってもらうように言った。しばらく待ってくれたが、ほかの乗客もいるので次のバスに乗ってくださいと言って、出発してしまった。その直後に父親が戻ってきて、バスが行ってしまったことを話すと、私のせいみたいに怒った。8時になるのにかっぱなど取りに行く方が悪いと思い、私はあきれた。しかもこのような土地を旅行するときに、細かい時間を気にしていたら、いつもイライラしていなければならないので、初めから細かい予定を決めるのはよくないと思った。

 次のバスは15分後に来た。そのバスでQuirigua Ruinasへ行くとの分岐点まで行き、そこで小さなバスに乗り換えた。そのバスに小さな女の子が乗っていて、父親が写真を撮っているのを見て喜んだので、バスの中でその女の子と一緒に写真を撮った。とても人懐っこい子でかわいかった。こっちの子どもはみんな目がくりっとしていて、かわいかった。遺跡の入り口で降りて、中に入った。父親に付き合うと暇なので、自分のペースで遺跡を見て回った。ほとんど観光客らしい人はいなくて、草刈のおじさんたちや地元の子どもたちがいるだけだった。遺跡は小さいので私はすぐに一周してしまった。雨などいっこうに降る気配はなく、時間がたつにつれて、どんどん気温が上昇していった。私は頭が痛くなり、体がだるくなってきた。気温が高いせいもあるが、体が熱っぽかった。ここで倒れるわけにはいかないので、ホテルで休むのが懸命だとおもい、一人で先に戻ることにした。

 遺跡の入り口で、ジュースを買って少し休んでから、バナナ畑に囲まれた一本道をまっすぐ歩いて行った。バスが来たらそれに乗ろうと思ったが、バスは通らなかった。車が通ると砂煙があがって息ができなかった。口にハンカチをあてて歩いていると、横道からアイスクリームを売るおじさんがやってきて、私にアイスを薦めた。べつにお腹がすいていたわけではないけれど、そのおじさんの薦めにのってアイスを買っていた。そのアイスを食べながらまた歩き始めたが、暑いのでアイスがどんどん溶けてきた。しばらくすると、今度はデルモンテの車が通り、そのまま通り過ぎるのかと思ったら、数メートル先に止まった。とりあえず挨拶を したら、英語でどこまで行くのかと聞いてきた。知らない人の車に乗るのは恐いと思ったけれど、ここではヒッチハイクが習慣だし、デルモンテの人だから大丈夫というように自分に言い聞かせてその車に乗った。国道まで送ってもらって、その後は再び歩いて村に向かった。国道まではかなりの距離があったので、乗せてもらってよかったと思った。そこから国道沿いを村の方に歩いて行ったが、村にはなかなか着かず、途中何度も不安になって、村の場所を通りすがりの人に確かめた。かなり歩いてからようやく昨日降りた売店のあるバス停についた。そこからホテルに向かう途中、2人の子どもたちが「どこへ行くの?」と尋ね、私が答えると興味深そうにずっと着いてきた。私が写真を撮ろうとすると、照れながらもうれしそうだった。ホテルでその子どもたちと別れて、私は部屋にかえってしばらくベッドで休んだ。

 3時くらいになって目がさめて、お腹がすいていたので、なにかを買おうと思って外にでた。でも、この村には食堂もなく、きちんとした売店のようなものもなかったので、しかたなくジュースとクッキーのようなものを買って、ベンチに座って食べた。少しそのベンチで休んでからホテルに戻るとちょうど父親も戻ってきた。ここのホテルのおばさんが愛想が悪いので、夕食はLos Amatesという隣の村まで行くことにした。とりあえず国道沿いのバス停に向かって歩いていたら、車が止まって、どこに行きたいのか訪ねてきた。中に乗っていたのは中年の男性と女性2人だった。女性のうち一人は私と同い年くらいに見えた。Los Amatesで 夕食をとりたいと言ったら、レストランまで連れていってくれた。せっかくレストランの前におろしてもらったのだけど、まだお腹がすいていなかったので、村を回って、アイスクリーム屋でアイスを買って食べた。それから、レストランに行ったが、そこにもメニューがなくPollo(鳥肉)しかなかった。私は鳥肉は好きなので二日連続でも別によかった。ミネラルウオーターを頼んだら、ガス入りのがでてきた。味がないのに炭酸入りというのはなんだか変な感じだった。食事の途中に、また停電になったが、私たちもいいかげん慣れていたので平然と暗い中で食べ続けた。

 食事がすんで、バス停に戻るとさっき車の中にいた女性二人が立っていた。彼女達はラテン系の顔立ちで、目鼻だちがはっきりしていてかわいかった。私と年が近そうだと思った女の人は25才だった。背が小さいのでみんな実際の年齢よりも若く見える。言葉はあまり通じなかったかけれど、同年代の女の子と話をするのは楽しかった。彼女はQuiriguaに恋人が住んでいるため、しょっちゅうQuiriguaにいくらしい。1時間位してやっとバスがきたが、その間彼女達はずっと私たちに付き合ってバス停にいてくれた。彼女達のほかにも村の人たちがバス停の回りにたくさんいたが、おそらく彼らは家にいてもやることがないので、外にでて話し相手を探しているのだろうと思った。日本では停電などほとんどなく、家にはいつも明かりがあり、テレビやビデオなどの娯楽も充実している。そのため家の外にでて世間話を楽しむようなことはなくなってしまった。昔はそのような習慣が日本にもあったのだろうが、今ではすっかり文明の利器に頼った生活をしている。別にそのことを悪いことだとは思わないが、たまにここのような自然の生活に触れると、人間的な温かみを感じてふとうらやましくなる。


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Written by Yuki Fukazawa
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Last revised on Dec. 23, 1995