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「電気通信大学の黎明期」


序:電気通信大学の黎明期の研究
  • 世界最初のプリント配線の回路
  • 自由闊達な雰囲気
  • 技官や卒業生のネットワーク
  • 大学の研究

  • 機器分析の時代を牽引した電通大
  • NMR分光
  • レーザー分光
  • 質量分光のインビーム
  • 電子顕微鏡

  • 世界最初の電波時計
  • 凧型アンテナ
  • 高山の電波通信・地下探査

  • 真空管から固体素子へ
  • 半導体電子素子の研究

  • 超伝導回路の研究

    南極観測と雪原の電波の吸収

    電通大の宇宙研究

    各学科の歴史

    わが国初のNMR分光

    日本のレーザー分光も電通大

    日本最初の電波時計は電通大での発明

    星間空間実験装置




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    日本最初の電波時計は電通大での発明



    人間が時計を持つようになって以来、「正確に時に刻む時計」は人間の夢であった。

    1960年代、当時正確に時間をしる手段として普及していたラジオの時報を利用して時刻を自動的にあわせる時計が製品化された。電気通信大学教授菅野正志は電子回路技術によりラジオの時報を受信して時計の指針を自動的に合わせる方式を開発し、これを無線通信機メーカーの国際電気株式会社が1963年から発売したのが日本最初の電波時計「アキュラテック」である。

    電気通信大学の最寄り駅である京王帝都電鉄調布駅をはじめ京王線各駅のホーム、西武や東武の各駅、銀行、学校、ホテル、病院などに設置された。また、駅前の大型ビルの屋上に設置され一目をひいた。合計で約6000台販売された。

    電波時計開発の発表は1962年におこなわれたが、業界に評判となり、このときは国際電気株式会社の株価はストップ高となり、雑誌「くらしの手帳」には「自分であわせる時計」(おすすめしたい時計です)と紹介された。

    技術的には、誤動作をなくすことに苦心があった。当時はIC技術の揺籃期であり、小型化に限界があり、腕時計や置時計にまで応用できず、1970年いこうは水晶発振子を利用した「水晶時計」が主流になった。

    京王電鉄は一時、電車の各車両の前後の内側の上部に電波時計をとりつけた。当時、京王線を利用する電通大学生はこれを見て「うちの大学の先生の発明した時計」として自慢していた。

    学内でも本館2階の会議室で開催された研究発表会で実際の装置を使った実演があり、丁度正午になるとカチッと針が動いて、まわりを取り囲んで注目していた先生や学生が歓声をあげ、拍手したということである。黎明期の学園風景の一コマである。

    [参考文献]
  • 国際電気五十年史、国際電気株式会社、2000年
  • 深田雅生:わたしの生涯実習報告、特別顧問退任記念講演原稿。
  • [展示品]
  • アキュラテイック(Accuratick)RC-107型、製造番号660123



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