ホーム | ロラとロルの神様さがし | 〈絵本の森〉物語 || 〈哲学の森〉 | 定位哲学講座 | ギターと近代 || michikoの部屋 | 本棚(作品紹介) | 〈絵本の森〉近況報告 | プロフィール | | |||
|
〈定位哲学講座〉
|
定位の問いかけは、本源的な問いかけで、それは生き物が世界に生まれてくると同時に感じる居心地のよさ、わるさと関係しているとわたしは思います。首をふらふらさせながら、おかあさんの羽毛の下にもぐりこもうとしているヒナを考えて下さい。びっくりして、ふらふらして、ほかほかして、そしてうとうとします。このぜんたいが哲学だといったら、みなさんはびっくりして、ふらふらして……はしないと思いますが、ともかくそうなのです。うとうとまでそうです。自分がいまどこにいるかがわかって、そしてここでいいと思えば、哲学もひとまずうとうとして、そしてあたりまえの生活にもどっていくからです。 これがつまり、わたしたちが生き物といっしょに、ずうっとこの二十万年やってきた、ほんとうの哲学です。それはほんとうの哲学ですが、いまは少し古いものとされてしまいました。それはやはり、別の面から見れば、わたしたちはヒナではなく、人間として、ある国に生まれてきて、住民票や銀行のカードもありますし、その外、すべてヒナの知らないこと、知らないでいいことに夢中になり、あくせくし、がっかりし、また夢中になっていきます。 これを文明環境と一応呼んでおきましょう。ではあのびっくりして、ふらふらして、ほかほかする、最初の哲学はここでは何の役にも立たないのでしょうか。 わたしはそうではないと思います。ヒナが文明を見たとしたら、やはり文明のほかほかした、ふわふわした、お母さんっぽい綿毛を探すと思います。探して見つからなければ、ピーピー悲しそうに泣き出すかもしれません。 この泣き出すこと、それがいまは特に大事なのです。 それはどうしてかというと、文明の中にいて、そのいろいろな部分にかまけているかぎり、わたしたちは生き物としての自分を忘れていくしくみになっているからです。だからこそ、ヒナとして、この世界に生まれたばかりの心で、複雑な、奇々怪々な文明と対面し、しんそこびっくりすることが必要なのです。 何にとってかというと、もちろん哲学にとってです。ヒナも哲学をしていたと言いました。そのヒナ-哲学を、一応わたし風に定位哲学と名づけるならば、この哲学のみが、文明を総体として問題にすることができるのです。 しかしそのためには、ヒナもいっしょうけんめい勉強しなければなりません。それはもうお母さんはどこかにいってしまって、そして冷たいぎらぎらしたものだけが周りを取り巻いている、そういう環境の中で、なおヒナであろうとすれば、やはり文明そのものを、文明の視点からではなく、ヒナの視点から勉強しなおす必要があるからです。 その勉強を、わたしはこれからみなさんと一緒にはじめたいと思います。 童心による異化、それが袋小路に陥った文明の迷路から抜け出す、唯一の方法であると、わたしはかたく信じています。 ヒナであるみなさんよりは、わたしはすこしだけふっくらしたお母さんにちかいかもしれません。ですから一列になって、安心してついてきて下さい。 これが定位哲学講座開講の辞です。あまり文明風でないのは、それがわたしの立場だからです。 文明の袋小路の先に、人類の本当の未来が待っていることを願いつつ、 著者しるす 2022年1月 |
|