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 〈絵本の森〉物語 menu

更新日:2021年9月16日

1:ケーキパーティー

2:迷子の神様

3:じゅんすいなお話

4:童心の物語

5:森のお話、お話の森

6:神様の接近

7:記憶の輪、夢の行列

8:お話で哲学する


〈絵本の森〉物語


朗読・michiko

6:神様の接近

 まだまだ森のお話だよ。それがお話の森に変わっていくあたりが今月のテーマみたい。
 ヨシは生き物がみんな仲間だって信じてる。そしてそれはもうぜったいてきに、かがくてきに、しんこうてきに、かくりつした真実だって言う。それはね、また森と関係してるんだよ。ヨシはこう言った。
 「森はね、山、川、草原、湖沼、海、そしてアルバの場合は大空も入るけど、そういう生き物が暮らす場所の総代表みたいな位置にあるんだ。それはたとえば〈生物多様性〉って言われてる、生き物たちがどのくらい仲良く、たくさん、有機的な関係を持ちながら暮らしてるかっていう、基本の尺度があるんだけど、その尺度でもやはり一番上位に位置するんだ。たとえば海では、サンゴ礁がそういう生き物の銀座みたいな場所をつくるんだけど、そのサンゴ礁は〈海の森〉とよばれたりもする。そしてこのことはね、また〈四大〉の枠組みと関係している。」
ブナの木。葉っぱと枝。
  ヨシはいつもみたいに、また一枚絵を見せてくれた。木の枝があって、そこから葉っぱが沢山出てる、すごく単純な絵。単純だけど、いかにも森の香りがするんで、深呼吸したくなるよ(挿絵23)。
 「これは日本の森の主役の一つ、ブナの木だよ。あちこちに原生林がある。ブナの森が広がったところでは、ほんとうに豊かな生態系が広がっていくんだ。つまり〈生物多様性〉が増していくわけだね。ひらたくいうと、森が民主主義になっていく。いろんな生き物、どんなに弱い生き物も、くふうしながら暮らし、〈生物権〉や〈市民権〉を得て、やがてすっかり安心して暮らせるようになる。その縁の下の力持ちの代表が、ブナなんだ。なぜだかわかるかな?」
 「実がおいしいから? 葉っぱも若葉はすっごくおいしいよ。クマの子なんかもう夢中で食べてる。」
 「そうだね、それもすごく大きい。」
 「幹が立派で、巣穴とかたくさん作れるから?」
 ボクがこう言うと、ヨシは「それも大きいよ」と賛成してくれた。でもどうやらそれは根本の〈森への貢献〉ではないみたい。答えは水だって。お水持ちっていうの?それがすごいいい木で、一度ふった雨を大切に長くたくわえてくれるんだって。葉も幹も根もそうだよ。答えを聞くと、なんだそんなことかって思うけど、でもやっぱりすっごく大事なことなんだ。
 「つまりね、時間、そして季節がからんでくるんだよ。雨は降ったりふらなかったりする。でも生き物はかならず毎日お水を必要とする。そうするとね、お水をたくわえてくれて、雨がふらなくなっても、少しずつお水をきょうきゅうしてくれる、そういう木々がすごく大事になるんだ。まさに命綱になるわけだね。これは人間も、農業のための貯水池やかんがい水路づくりとかでやってるんだけど、ブナ林はまさに森の自然の貯水池なんだよ。生き物自身がそうやって森作りに参加してる、森の生態系づくりに参加してる。それがボクはほんとうに素晴らしいと思うんだ。」
 なるほど、こんなにさっぱりした緑色の葉っぱと、しっかりした枝が雨をしっかり吸い取ってくれると、森の生き物の世界がずうっと広がり続けるんだなって、なんだかとっても神々しいような気分になったよ。リリーも同じことを感じたみたい。
 「だからかな。古い神社とかじゃ、新しい葉っぱのついた枝とかを、そのままお供えしたりしてるもんね。」
 ヨシはうなずいた。
 「そうだね。ボクたち人間も生き物だから、そうやって森の神様に感謝してきた。つい最近まではね……」
 ヨシは、ちょっと何か暗いことを連想したみたいで、難しい顔になったけど、またすぐほがらかに続けた。
 「特に日本の森はね、山紫水明(さんしすいめい)って言葉があるけど、世界で一番くらいに水が豊富で、そしてきれいで、さらに言うと、生き物が使いやすいように、あちこちに小さな流れが行きわたってる。まあこんな具合だね。」
 ヨシは次の絵を見せてくれた。アカショウビンのカップルが、清流の枝にとまってる絵だよ(挿絵24)。いかにも日本の森ってかんじ。なんかくつろぐよね。
清流の枝にとまるアカショウビンのカップル。
 「この子たち、何を見てるのかな。何を感じてるのかな。巣立ちとかじゃないね。ちょっとちがう……」
 リリーはしげしげとカップルを見た。ボクも面白いなって思ったよ。童心で森を探検するとかいうんじゃなくて……森のことはもうよくわかってるけど……なにかの気配を感じてるような……
 「そう、完成された森、生物多様性を実現した森はね、静かで穏やかな精気を発散するようになる。そしてそれを生き物たちも感じて、ほっとして、ああいいなと思いながら暮らしていくんだよ。それは……自分がない感じだけど、はじめてヒナや子供が世界を見る、その自分がない感じ(少し難しいけど脱自性っていう言葉があるんだ)と似てて、ちょっとちがう。それはね、こう自問してみるとわかると思う。草原の生き物、海の生き物、空の生き物は、こんなくつろいだ感じで、ふっと自分をなくすことがあるかなって。」
 これはボクにもすぐわかった。お空を飛んでてぼんやりすることもあるけど、まわりをしっかり見ているから、その見ている感じはいつでも残ってる。見てるような見てないような感じは、着陸して浜辺でぼんやりしている時だよ……で、浜辺もひらけた場所で、ほんとうには護られていないから、あんまりぼんやりすると危険もある、そのこともどっかで意識してる……だからこのカップルみたいにはなれないわけだね……
 「そう、森特有の〈穏やかに包まれ、護られてる〉って感じが、こういうくつろいだ穏やかな自分のなさ、脱自性を生むわけだね。もう少しこの方向で考えてみよう。」
森の茂みであたりを見回す熊の母子。
 ヨシは次の絵を見せてくれた。クマの母子が、しげみの中であたりを見回してる絵だよ(挿絵25)。これはさっきのアカショウビンの子たちよりも、もっとなんていうか……気配を感じる絵だ。キミたちもそう思うでしょ。見ていて見てない。自分でいて自分でない。近づいてくる、もうそこにいる優しい気配を感じてぼんやりしている……
 「なんかいいね……わたしも森でぼんやりすると、ちょっとこんな感じになってるかも。」
 リリーもにっこり笑った。で、ボクは森の生き物じゃないけど、こういう感じはわりとよく知ってる。だからこう言ってみた。
 「ボクはね、お空をとんでても、浜辺を歩いてても、北の海で荒波にもまれながらお魚を探してる時も、ふっとこういう気持ちになるよ。森の神様じゃないけど、なんかとっても大きな優しいものがすぐそばにいて、包んでくれる、護ってくれる、みたいな感じ……そうだなあ……風の神様の気配みたいなものかもしれない……森の中とはずいぶんちがうけどね。もっと短くて、でもけっこう強い感覚みたいな……よく言えないけど。」
 ヨシはうれしそうな顔で、なんどもうなずいてくれたよ。ヨシもきっとそういう気分になることがあるからだろうね……
 「森はね、生態系の王様だよ。そして森は、生き物が最初に〈神様〉を感じたところじゃないかって、ボクはそう想像してる。するとね、〈神様〉は、大空にも、海にも、山川にもいるわけだから、それは大空や、海や、山川の中に、〈森に似たところ〉があるからじゃないかって、そう想像は進むんだ。まあ一種の神学みたいなものだけどね。」
 ヨシはちょっと宙に目を走らせた。それからまたボクたちを見てこう続けた。
 「ボクが長年やってきた哲学ではね、〈主体〉っていう括り方で、いろいろな現象の動因、現象を生む力の共通点を見いだそうとする。つまり生態系も、生き物を護りはぐくむ〈主体〉だという見方ができる。そしてその〈主体〉は、具体的な姿をとると、すでに神様に近いものかもしれない。それもじゅんすいな、〈四大〉の神様……ちょっと抽象的な話で悪いけどね……」
 「ううん、なんだかすごくわかる気がする。」
 リリーはこう真面目に言って、すぐにやっと笑った。
 「気分だけで悪いけど。」
ブナ林の雪景。ウサギの母子。
 そういう気分なら、ボクもするよって言った。ヨシは笑って、もう一枚、あたらしい絵をフォルダーから取りだした。冬景色の絵だよ。雪の積もった森で、ウサギの母子が何かお話ししてる(挿絵26)。なんだかしんみりした、だいじなお話……
 「これは真冬のブナ林だよ。雪が重いとこんなに枝はしなうんだけど、でもやっぱり水持ちをしっかりしてくれてる。雪は森では消えないで遅くまで残るからね。そして溶けていくと、こんどは根がしっかりそれを受け止める。ね、きびしい真冬でも、こうして生態系のだいじな枠組みは、たもたれていくんだよ。生態系の主体、神様の気配はそこここにある。だから……この母子もここは神様の聖なる場所だよとか、そういうお話をしてるのかもしれない……」
 ヨシはちょっとまた笑った。
 「生き物も人間も、生まれ故郷の自慢はするものだよ。ボクもついつい、日本の森のすごしやすさ、優しさをほめあげてしまった。でもね、もっと大きな見地で見ても、やっぱり森は、一つの完成された世界なんだよ。たとえば生き物と進化にとってすごく大事な役目を果たしてきたあの大草原、サバンナと比べると、違いが際だつかもしれないね。」
 ヨシは森と、そのサバンナを比べはじめた。もともと森が焼けたり枯れたりして大草原、つまりサバンナが広がるんだけど、そうすると「全体の栄養価」が何倍にもなるんだって。
 「森の栄養の元はね、樹冠って言われてる木々の頂上部が中心なんだ。下の薄暗いところは、それほど栄養を生まない。植物の栄養は、もともとぜんぶお日様のひかりからきてるからね。薄暗いと草花だってそんなに生えないし、キノコくらいになってしまう。そして木々は長寿だから、樹冠は毎年同じ分くらいの栄養しか生まないんだよ。たとえば若葉とか、木花とか、実だね。それを森の生き物みんなで分け合って暮らしてる。」
 これに比べると、サバンナの草は毎年二回も三回も育っては枯れていく。乾期とかもあるからだね。ちょうど森が十年がかりでたくわえる栄養を、もうほんの半年くらいで生みだしてしまうんだって。
 「ね、わかるでしょ。つまり新陳代謝が異常に早いんだよ。だから草を食べる動物はどんどん育つ、それを追いかける動物もどんどん数を増す。同じ草原に何種類もの大きな哺乳類が肩を並べる、そういうちょっと、他ではありえないような世界が生まれるんだよ。だからその生き物同士のいろんな交渉から、大きな進化が起こりやすいんだ。他ならないボクたち人類も、その恩恵をこうむった種だけどね。」
 ヨシはちょっとまた宙に目を走らせて、一人言みたいにつぶやいた。
 「サバンナにも神様はいる……ダーウィンが夢見た神様かもしれない……でも生まれては消えていく……神様たちも進化の坩堝(るつぼ)に投げ込まれている……安定化要因の欠如……多様性のめまぐるしい離合集散、栄枯盛衰……」
 ヨシはまたボクたちを見て笑った。
 「これはね、キミたちの第三の問いに関係してるよ。つまり……実はボクはまだ哲学をずっとやってるってことだけど……それはまたまとめて話そうね。ともかく、まず森の話を終えることにしよう。森の終わりの絵だよ。」
 火山が大噴火して、森を焼き尽くしてるこわい絵だよ。ボクもリリーもすぐ思い出した。あのお花畑の楽園をめざして飛び立ったクラたちが、冒険のさいごのころに出会った、沼の神様のお話だ。神様は「けんぞく」の精霊たちといっしょに、火山の神様においのりをしながら、火に呑まれていった(挿絵27)。とっても悲しいお話。でも森と渓流は救われた……
火山噴火の火砕流による沼の生態系の最後。
沼の神と精霊たちの祈り。
 「救われることもあるし、もう救われないであたり一面の森が焼けてしまうこともあるよ。でも神々と精霊たちの祈りはいつも真実だ。救えるものを救って下さいと、せいしんせいい、お祈りする……わかるよね?」
 ヨシはボクたちを見た。これはなんとなくだけどわかった。この神様は、沼の神様だけど、その沼は〈生物多様性〉ではきっと森みたいになってたんだと思う。そしてその小さな森は毒水の沼に変わり果ててしまった。でもそのおかげで後ろの森や川は助かった……
 「〈四大〉の神様は、この沼の神様もふくめて、なぜか自己犠牲の神様方なんだよ。これは世界中の生き物のあいだにつたわる伝説や神話が、口をそろえて証言している。それがなぜなのかボクはずっと考えてるんだけど……」
 ヨシはちょっと言いよどんだ。それからひとつためいきをついてこう続けた。
 「ほんとうのことは、まだわからない。でもね、生態系が一つにまとまり、おおくのいのちをやしなうようになると、そこには〈主体〉の影がさすようになる。それはもう真実そのものなんだ。だからさっき見たように、特に森の生き物は、その優しい気配を感じて、自分も優しい大きな気持ちで森を見回すようになるわけだね。そういう風にして、森のとなりに森ができていくと、そういう森をたくさんかかえた山が、こんどは精気、そして霊気を発散して、やさしい大きな存在にちかづいていく。山神様たちの誕生だね。そういう風にして、ボクたちのこの島は、〈やおよろずの神のさきわう国〉と呼ばれるようになったんだよ。」
〈生態系の主体〉としての山神たちがつくる
〈青垣〉の風景。
 ヨシは最後の絵を見せてくれた。〈青垣〉っていって、山並みが遠くまでつらなって、空の青と一つになっていく、そういう絵(挿絵28)。ボクもお空からこの島国を見るとこういう光景にしばしば出会って、ああいいなって思う。その〈いいな〉の大元が、いのちの場所をささえてくれる、その〈生態系の主体〉だったんだなってこと、それがいまわかった気がしたよ。
 じゃ今月はここまで。来月はいよいよ哲学のお話かな。それともその前に「行列」のことを話してくれるかもしれない。楽しみにしててね。



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