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更新日:2022年10月26日

 自己紹介

 ホシくん 賛(1)

 ホシくん 賛(2)

 招かれざる同居者
 または時季外れの怪談


 アシダカちゃんの失踪

 決闘の図像学(1)

 決闘の図像学(2)

 決闘の図像学(3)
 クハガタ兜の由来


 決闘の図像学(4)
 クハガタ――記憶の断絶


 三月は雛の月(その一)
  michikoのお雛さま


 三月は雛の月(その二)
  雛祭りの苦い思い出


 もう6月……
  久しぶりの共同生活(1)


 もう7月……今日は七夕
  久しぶりの共同生活(2)


 もう9月も半ば……
 山荘で見た映画の話(1)


 もう10月も半ばすぎ……
 山荘で見た映画の話(2-1)


 10月もそろそろ終わり
 山荘で見た映画の話(2-2)



michikoの部屋


ホシくん 賛 (1)

 まず、「賛」(あるいは「讃」)というのは、西洋風に言うなら「オマージュ」ですが、でもオマージュとやっぱり違うのは、この言葉に含まれる東洋的伝統というか東洋的文脈が、ヨシの作中生き物を讃えるときにはぴったりかな、と思ったからです。つまり、ヨシが作っているような絵と文が一緒になっているジャンルは、系譜的に見れば、中国から入ってきた文人画に少しつながっているところもあって、ヨシはそこに完全に別の精神を吹き込んで絵本や画文集を創作しています。で、文人画というのは、職業画家ではない文人が描いた絵のことで、そこにはしばしばその絵に対する漢詩の「賛」(賛辞)が書かれていたり、あるいは絵を描いた人が自分で賛を付けていたり(これがいわゆる「自画自賛」です)するのです。ヨシの場合は、絵に付けているのは「お話」で、「賛」ではありません。でもともかくヨシは、自分が文人画家の系譜を継いでいることを少し意識しているようです(このことは、多分来月にアップする「〈絵本の森〉物語(第三話)」にちょっと出てきます)。だから、ヨシの作品の中で、michikoが個人的にすごく気に入ったり、極めつけに面白いなと思ったり、驚き呆れたり、あるいは涙を流して感動したりした生き物たちに、ヨシのあずかり知らぬところで勝手に、ではありますが、「賛」を贈ろうかなと思いついたわけです。まあ、「賛」と言っても、けっこうシビアなところもありそうな……でも、本当はみんな大好きな生き物たちです。

 ホシくんの性格と恋愛観(その1:求婚の言葉と振る舞いを分析する)
天敵から逃げるホシ
 それでいよいよ「ホシくん 賛」の始まりです。ホシくんってどんな子なのか知らない人も多いと思うので、最初に彼について紹介しておきます。ホシくんというのは、ヨシの『クラとホシとマル』というお話に出てくるホシガラスの男の子です。このお話は、チングルマという花の種のクラが、秋の終わりに日当たりのよい土地を求めて旅立ち、いろいろな困難を乗り越えて最後にようやくその新天地に辿り着き、そこでしっかり根を張って、春にはたくさんの花を咲かせるという物語なのですが、ホシはその旅の途中でクラと出会って、クラに求婚するのです。どうして突然そういう話になったのかというと、ホシがある日、ちょうど天敵のハヤブサに追われて脱兎の如く、というか、ホシくんはそのとき兎と違って空を飛んでいたわけだから、水平方向にではなく垂直方向に、地上の草むらに向かってまっしぐらに逃げたということですが、クラがふっとそのハヤブサの目の前を通り過ぎたおかげで、ホシは命拾いしたというわけでした。つまり、ホシにとってクラは命の恩人なのです。
 とはいえ、ここから始まるホシの求婚をめぐる言動が実におかしくて、彼の早とちりで独善的な、でもどこか憎めない性格がそこにはとてもよく表れています。彼はまず、クラの一族、つまりチングルマの一族について、「礼儀正しくて、でもしんがあって、しとやかで、すごく好きな一族さ」と持ち上げます。それからこの物語のテキストは、ホシのことをこう描写するのです。「ちょっと間をおいて、自分のことばがどういうインパクトを与えたか確かめようとするように、クラをうかがうような目つきでじっと見るのです。」
 これはかなり自意識過剰で耐えがたい子だなとわたしなら思いますが、クラはホシの言葉どおり「しとやか」なせいなのか、どぎまぎするだけです。ダメダメ、こういう子にはもっと強く出ないと……こちらがもう背中を押したい気分でジリジリしていると、ホシはクラのお母さんの住まいを尋ねたりして、攻めの姿勢を一気に強めます。
 「もともとぼくはキミの一族が好きだった。そしてその一族の女の子から、今日は命を助けてもらった。だからもっと好きになっていい、これはキミも認めるね。いわゆるろんりてきひつぜんというやつだよ。」
 ホシは「早口で」こう言います。うーん、こういうところで「論理的必然」を出されても……「愛」って「論理」じゃなくて「情念」でしょ。「論理的必然」じゃないんじゃないの?って、わたしだったら言うかも……それに、こういうちょっと堅い言葉を使って自分の知性をアピールしようって魂胆も透けて見えるし……
 でも、ホシが「早口で」告白したってことは、やっぱり相当に緊張してたってことなのかな。もしかしたら、緊張のあまり頭がまっ白になって、論理的に冷静に考えられなくなって、だからこういう難しい言葉でごまかそうとしたってことなのかも……ホシにしても、求婚するのは初めてだったわけだから……突然の告白にびっくりしてるクラを見て、「しとやかな、あんもくのりょうかい」が得られたと勘違いするのも、希望的観測の深読み、つまりホシくんもまだ世慣れてないってことなのかもしれない。でもやっぱりこの子、今どきの子としてはかなり考え方が古いと思う。「しとやか」な女の子が好きなのは、まあ個人的な好みだから、わたしと全然違うからって別に文句を言うつもりはないけど。でも、いくらしとやかな子でもね、ホシくん、あなたが現代に生きてる生き物なら、きちんと相手の意向を確かめないと誤解と失敗の元になりますよ。リリーやアルバだったらこんなことは絶対ないと思うけど。
 そして、それに続く次の言葉にもまた唖然。
自信たっぷりな顔つきのホシ
 「うれしいね、さんせいしてもらって。で、好きになるってことは恋をするということだ。だからぼくはだんぜんキミに恋をした。」
 なんだか明治の翻訳物の恋愛小説を読んでるような気がして、その西洋めかしたぎこちなさを響かせる日本語がたまらなく、お・か・し・い。今までけっこう色々なラブ・ロマンスを読んできたわたしは、いつもここで笑い転げます。それにしても、「ぼくはだんぜんキミに恋をした」なんて、一度言われてみたいですね、実際どんな気分がするものか……
 そして、まだ目を回しているクラに向かって、ホシはこう続けるのです。
  「うれしいね、さんせいしてもらって。で、恋をしたら、あとは結婚するしかない。ぼくは決心した。キミと結婚する。」
 あはは。とはいえ、ホシの言う「論理的必然」は、「恋愛」が「論理」であるかどうかは疑問ですが、「好き」→「恋」→「結婚」というプロセスを踏んでいる点では、一応は西洋近代市民社会に定着したルールというかイデオロギーにのっとったロマンチック・ラブ、あるいはラブ・マリッジではあります。まあ、クラの承諾を確認せずにひとり合点で話を進めていくところに、大きな問題があるのですが……
 ホシくん、キミもまあ、日本の現代的な生き物ではあるわけね。明治・大正そして戦後すぐの時代でも、恋愛結婚はまだ日本では「一般的」と言えなかったから。
 それにしても、ヨシって一体どんな顔してこういうお話を書いてるのかしらん、とわたしは時々不思議に思うことがあります。で、ヨシに直接そう聞いてみると、自分が書いているわけではなくて、ただ相手が話してくれるのを聞いて、そのまま書いてるだけなのだそうです。たしかにヨシには、ホシくんに似て、ちょっとせっかちで速戦即決というところがあるのですが、やっぱりホシはあくまでヨシの作中生き物で、ヨシその人ではない。この当たり前の事実というか結論に、ここまでホシくんの性格と恋愛観の問題点について細かく分析してきたmichikoとしては、なぜか深く安堵したのでした(笑)。



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