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更新日:2022年10月26日

 自己紹介

 ホシくん 賛(1)

 ホシくん 賛(2)

 招かれざる同居者
 または時季外れの怪談


 アシダカちゃんの失踪

 決闘の図像学(1)

 決闘の図像学(2)

 決闘の図像学(3)
 クハガタ兜の由来


 決闘の図像学(4)
 クハガタ――記憶の断絶


 三月は雛の月(その一)
  michikoのお雛さま


 三月は雛の月(その二)
  雛祭りの苦い思い出


 もう6月……
  久しぶりの共同生活(1)


 もう7月……今日は七夕
  久しぶりの共同生活(2)


 もう9月も半ば……
 山荘で見た映画の話(1)


 もう10月も半ばすぎ……
 山荘で見た映画の話(2-1)


 10月もそろそろ終わり
 山荘で見た映画の話(2-2)



michikoの部屋


ホシくん 賛 (2)

 ホシくんの性格と恋愛観(その2:結納から決闘へ)
 「ホシくん賛(1)」で書いたように、ホシくんにはちょっと古いところがある、とはいえちゃんと、近代日本に輸入された〈恋愛結婚〉が、戦後はようやく少しずつ定着し始めて、恋をして結婚するというパターンがごく普通に感じられるようになったそういう時代の生き物、「日本の現代的な」ホシガラスだと結論づけました。
 ところが、ここからの先の彼の行動には、その結論を覆すような古さが次々と出てきて、彼の「現代性」に大きな疑問符が付くのです。
ひれ伏して結納を差し出すホシに、びっくりするクラのお母さん
 まず、クラちゃんの同意が得られたと思った彼は、早速結納の準備。大好物の「ハイマツの実」を、大奮発して十五個も用意し、クラちゃんのお母さんに届けに行きます。「結納」って、今どき結納ねえ……と挿絵をしげしげと眺めてみると、彼のその装束たるや、実に古式ゆかしい烏帽子と紋付き。しかも、烏帽子には「誠」の文字、紋付きの背には大きな「愛」の文字が、派手派手しく染め抜かれているではありませんか!
 実に、「しんじられなぁーーーい」意匠。
 そういえば、ずっと昔のマンガに『愛と誠』とかいうのがありましたっけ?……でもあれは、そういう名前の男の子と女の子が登場するお話で、この物語とはまったくの無関係。装束はいかにも古い日本の慣習に則っているのですが、このホシくんはその身一つで「愛」と「誠」を体現しようとしているわけだから、その「こころ」からすれば、貴婦人に奉仕する西洋中世の騎士道精神に近いのかもしれません。だとすれば、ホシくんの「愛」は、近代以降のラブ・マリッジの流れを汲むものではなくて、西洋は西洋でも、中世の伝統に連なるものだったのかな、と改めて彼の行動を詳しく追跡してみる気になったのでした。
 『クラとホシとマル』というタイトルが示すように、この物語の主要登場生き物は三人(「人」っていうのは、他に適当な言葉がないので使っていますが、もちろん「ヒト」ではありません)います。マルくんというのは花粉や蜜を集めるマルハナバチの男の子で、「さきがけ」として日当たりのよい新天地を見つけるために旅立ったクラを、何かにつけてサポートしてくれる頼りがいのある子です。
 それで、ホシが結納を届けに行って、先方でおしゃべりに熱中してしまい、夕暮れ時になっても戻らないのを心配したマルは、一人で心細くなっているクラのところにやってくると、女王蜂のお母さんと家族の暮らす自分の〈我が家〉に案内します。マルのお母さんもまた、周囲の森が滅びていくのを見て、別天地として話に聞いていた「楽園」をずっと前から探し続けていたのでした。
 翌朝、クラとマルは、マルのお母さんから聞いたその「楽園」を探しに一緒に旅立つのですが、その途中でクラを追いかけてきたホシと出会います。ホシは意地悪なキツネからクラがマルと駆け落ちしたと聞かされて、あわててマルのお母さんのところに駆けつけ、二人の行き先を聞いてすぐさま跡を追ってきたのでした。
 マルが、三人で一緒に「楽園」を探しに行こうと誘うと、ホシはその別天地の尾根にハイマツがたくさん生えていることを何度も確かめてから、一緒に行く決心をします。そして、こう言うのです。
 「じゃあ、残ったのは『けっとう』の問題だけだね。ちょうどいいから、ここでやっていこうよ。」
 一人の女性をめぐる二人の男性の決闘……この行動パターンはまさしく、ホシくんが西洋中世の騎士道物語にかぶれているらしいことを仄めかしています。
十四世紀ドイツの法律書に見られる決闘裁判図
 ところで、中世騎士の決闘には「作法」というか、ルールがありました。まず、決闘には正当な理由がなければならない。騎士道精神が生まれたヨーロッパはキリスト教世界でしたから、決闘は二人の騎士の間で何かもめ事が生じ、どちらが正しいか人間が判定できない場合に、「すべてを見そなはす神」の裁きとして行われました。つまり、神の御前で行われる決闘ならば、正義は当然その勝者の側にある、というわけです。このような決闘裁判はゲルマン法の伝統を引くもので、中世の終わり頃まで、ヨーロッパで実際に行われていました。
1409年にアウクスブルクで行われた決闘裁判(1544年頃)
 そして、中世の有名な騎士道物語や、その影響を受けて長い間人気を博した数多くのロマンスでは、その「もめ事」の焦点となるのはしばしば身分の高い貴婦人でした。例えば、ある貴婦人がある騎士からその貞節を疑われ、彼女を崇拝する騎士が彼女の名誉を賭けて侮辱した騎士に決闘を挑むとか、あるいは妻の密通によって侮辱された夫の騎士が自身の名誉を回復するために相手の騎士に決闘を挑むとか……要するに、騎士道物語は基本的に不倫物語で、三角関係だったのです。
 それで、ホシの「けっとう」の申し出にびっくりしたマルがその理由を尋ねると、ホシは「もちろん、キミがボクのさいあいの婚約者とかけおちしたからだよ」と答えます。ことの真相はともかく、この場はまあ、思い込みの激しいホシの言うとおりにしないと収まらないだろうなと判断したマルは、その決闘を明白な理由に基づいたものとするために、お互いをひどく侮辱し合うことを提案します。武器については、ホシのほうは最初から針のような杉の葉を使うことに決めていて、マルにはおしりの針を使うように提案します。
 そう、決闘に際しては、当事者両人が明確にその理由を自覚し、あらかじめ武器についての合意がなされなければならない、これが作法なのです。騎士の場合ならもちろん、武器は槍と盾(馬から下りた場合は剣と盾)と決まっていたのですが、まずは侮辱があって、その名誉回復のために決闘が行われる、そういう順序でなければならないわけでした。
   ところがこのホシくん、アドレナリンがワッと出やすいタチではあるし、クチバシにくわえた杉の針で颯爽と宙に「突き」を入れ、戦闘モードをアピールして見せたりもするのですが、すぐそのあとで不安げに「けっとうはなにしろとってもきけんだからね」と言ったりもする……あはは……それでよく聞いてみると、彼のイメージする決闘では、両者一度ずつの突撃を、互いに注意深くよけ合った後で、「ハグして、無事をいわい、えいえんのゆうじょうを誓い合う」という大団円が予定されていたのでした。
ホシとマルの決闘
 つまり、ホシとマルの「けっとう」は、こうして「三角関係」を解消し、三人が「こころを一つにする」ための儀式として、方便として、行われるべきものだったのです。
 でもこれって、よくよく考えてみれば、お互いのこころのシコリを解くための、なかなか優れた知恵だなって思いませんか。ホシくん、キミってさ、今までは直情径行で単純な性格だとばかり思ってたけど、意外とすっごく賢いのかもしれないね。
 このあたりのホシとマルのやりとりには、二人の性格がとてもよく出ていて面白いので、さらに興味のある方には作品を是非読んでいただきたいなと思うのですが……実は、この場面に付された決闘の挿絵には、図像学的に見て大変興味深い細部が描かれているのです。それで、次回はさらにその方面から、ホシの決闘についての分析を、少々学問的に進めてみたいと思っています。物語テキストには現れていないホシくんの情念あるいは深層心理を、比較文化史的な視点も含めて読み解いていきますので、この続きは次の「図像学」の項目でお楽しみ下さい。
 挿絵というのは、テキストに添えられた単なる状況説明、補足説明ではありません。絵そのものにも、作者のメッセージが隠されていたり、あるいは、作者その人すら意識していない意味がひょっこり浮かび上がっていたりします。そのような細部に注目しながら、挿絵も一緒に、大いに楽しんでいただければと願っています。God is in the details.



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