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更新日:2022年10月26日

 自己紹介

 ホシくん 賛(1)

 ホシくん 賛(2)

 招かれざる同居者
 または時季外れの怪談


 アシダカちゃんの失踪

 決闘の図像学(1)

 決闘の図像学(2)

 決闘の図像学(3)
 クハガタ兜の由来


 決闘の図像学(4)
 クハガタ――記憶の断絶


 三月は雛の月(その一)
  michikoのお雛さま


 三月は雛の月(その二)
  雛祭りの苦い思い出


 もう6月……
  久しぶりの共同生活(1)


 もう7月……今日は七夕
  久しぶりの共同生活(2)


 もう9月も半ば……
 山荘で見た映画の話(1)


 もう10月も半ばすぎ……
 山荘で見た映画の話(2-1)


 10月もそろそろ終わり
 山荘で見た映画の話(2-2)



michikoの部屋


〈三月は雛の月〉(その一)

 そう、三月は雛の月です。といっても、もうすでに半ばを過ぎ、下旬に入ってしまいましたが……
 michikoは毎年、二月の終わりごろになると、なんとなーくそわそわして、そうそう、もうそろそろお雛さまを飾らなくちゃ、という思いが頭の隅のほうでチラチラし始めます。とはいえ、ときには猛烈に忙しい年もあって、その「チラチラ」も全然起きないまま、ええっ、もう三日?今日がひな祭り当日だったの?とか、えーん、もう四日じゃない!ということも、これまでなかったわけではありません。ただどうしてなのか、あるいはむしろ当たり前と言うべきなのか、たとえ三日は過ぎてしまっても、そのあと何日かすると必ず、本来ならば三日までにすべきだったことを思い出して、その時点で、仕方ないな、今年はパスしよう、と思うこともあれば、いやいや、やはり一年にたった一度のことなのだから、遅ればせにでも出してあげよう、と思うこともありました。実際にパスしたことが、一回か二回はあったことも覚えています。そしてそれはたぶん、思い出したのが遅すぎた、つまり当の三日から数日過ぎ去った時点でようやく気がついて、いくら何でも、という気がしてやむなくパスした、ということだったと思います。
michikoのお雛さま
  michikoのお雛さまは、手に入れてからもう三十年以上経ちます。見てのとおり、ちょっと変わった簡易お雛さまというか、いわゆる創作お雛さまで、JR高山駅に向かう大通りをぶらぶら歩いていたときに、とある人形店のショーウィンドウで偶然見かけて、なんだかすっかり気に入ってしまい、衝動買いしたものです。
 下呂温泉に出かけて一泊し、その帰りに飛騨高山の古い町並みを見に立ち寄って、それから駅に向かう途次のことでした。普段はウィンドウ・ショッピングなどとは縁のない生活を送っているのですが、その時は珍しく母や妹と一緒の、ほとんどこのとき限りの小旅行で、いつもとはちょっと違うモードに入っていたのかもしれません。それとも、それはある種の「天啓」だったのかしらん……あはは、我ながら大げさな!
 一月終わりか二月初めの厳寒のころで、ちょうど人形店がさまざまな雛人形をアピールしている、そんな時期でした。通りに面したウィンドウや、外からも見える奥行きのある店内には、豪華な嫁入り道具や立派な駕籠や牛車つきの七段飾り、随身(右大臣・左大臣)と仕丁(三人上戸)たちのいる五段飾り、五人囃子までの三段飾り、そして立派なおびな・めびなだけの一段飾りといろいろ並べられていたのですが、その一番目につくウィンドウの隅のほうに、華やかでいかにもお雛さま然とした他のものとは全く違う、まるでそこだけぽっかり別空間が出現したように、ちんまりひっそりした小さなおびな・めびなを見つけたのです。目が合った、と言うべきかもしれません。二人は内側を黒く塗った対のハマグリの上にすっぽり形よく納まって、切れ長の目で静かにこちらを見ていました。
高山市本町通(これは最近の写真ですが……)
 ん?と足を止めたときには、こころはもう決まっていました。大きなガラスの入った重い戸をガラガラと開けて小走りに奥まで進み、「あのショーウィンドウのなかの、貝の上に座ってるお雛さまが欲しいんですけど……」
 店主とおぼしき初老の無愛想な人物が、手早くこのお雛さまとその付属品を紙箱に詰めてくれるのを待ちながら、michikoは自分のこころのこの思いがけない動きに、なんだか妙にわくわくしていました。それは、いま振り返ってみても、本当にこのとき限りと言えるような、面白い体験でした。
清水の舞台(清水寺本堂)
 買い物をするときはいつも迷いに迷い、決めるまでにずいぶん時間のかかる優柔不断のmichikoにしては、何という大胆な決断! もちろんそれは、「清水の舞台から飛び降りる」ような、まさしく一生を左右する決断などではまったくなく、この先しばらく我慢我慢の窮乏生活を強いられる、そんな高価な品でもありませんでした。まあ、デパートのバーゲンに出かけて、気に入った靴を余分に一足、あるいは小さいサイズのコーナーで、ちょっとお洒落なセーターを一枚、そんな感じの値段と言えば、だいたい想像していただけるでしょう。
バーゲン! いったいいつの?
 とはいえ、〈お雛さま〉というモノは、職業生活を送る上でのごくふつーの必需品+アルファ、と自分を言いくるめられるようなシロモノではありません。なぜこの期に及んでお雛さまなの? 単純に、趣味というか、嗜好というか、その場の思いつきというか……michikoは女の子をもつお母さんでもないし、小さいころにお雛さまがなかったわけでも、雛祭りを祝ってもらえなかったわけでもない……あまり余裕のない家庭でしたが、当時はまだ、そういうことは母の内職の力で十分にしてもらっていた子供でしたから、かつての満たされない思いがふいに噴き出した、というわけでも全くないのです。
 そしてたった一度きりの母との温泉旅行に出かけたこの頃は、そういう子供時代からはるかに遠ざかった時空にいて、過去を思い出すこともまったくないまま、毎日ひたすら忙しく「いま」を生きていました。だから、〈お雛さま〉にふっとある種のノスタルジーを感じたというわけでも正直ありません。問題は、michikoのすぐ眼の前にいて、ハマグリの上に心地よさそうにすわり、極細筆で墨をすっとひとすじ引いただけの涼しい目でこちらを静かに眺めている、そのちんまりひっそりしたお雛さまの姿かたち、みやびでありながらつつましい、その独特の存在感でした。
 つまり、偶然、目が合ってしまったんですよ、このちいさなおびな・めびなと。そうしたらもう目をそらせなくなっちゃって……と、あまり理性的とは言えないごたくを並べるしかないのです。購入の意図や動機をきちんと説明するのがひどく難しい、実に不思議な「ご縁」でした。
アップに耐えるおびなとめびな
残念ながらやはりボケてる……
 そもそも、おびな・めびなを一対のハマグリの上に座らせるというこの作家の発想は、平安末の貴族たちの遊びとして知られるハマグリの二枚貝を使った遊び〈かひおほひ〉(後に、かひあはせとも)の貝から得たアイデアだったでしょう。この遊びは、当初は二枚貝の左右の対を探しあてるという単純なものだったようですが、後世になって合わせやすいように、内側に同じ趣向の絵を描いたり、和歌の上の句と下の句を分けて書いたりして楽しまれるようになったのだそうです(日本国語大辞典)。michikoの目が強く惹きつけられたのも、この後世の貝合せの彩色された貝を博物館で何度か見たことがあり、その源氏物語絵巻風の絵付けが印象に残っていたからだったのかもしれません。
大和絵風に描かれた貝おおいの貝(十七世紀)
  とはいえ、さてさてそのルーツは如何?と調べてみれば、三月三日の桃の節供、雛祭りの起源は意外に新しく、江戸時代初頭になってようやく、宮廷や幕府で雛人形にかかわる行事があったことが記録され始めるのだそうです(日本大百科全書)。これは、七段飾りの一番下の段に見える駕籠からもとうに推量できることで、この乗り物はどう見ても江戸時代の大名駕籠。平安時代の貴人たちが外出に用いていたのはもちろん牛車でした。それなのになんと、この七段目にはしばしば、用意周到というべきか、時代混淆の極みというべきか、駕籠と牛車が二つとも並べてあるのです! ありえなーーーい!
大名駕籠と牛車(七段目の不思議)
 当時の宮廷で行われたこの行事がどのようなものであったのかは分かっていませんが、十七世紀の後半になって雛祭りの形が定着していき、初期には平段・立雛だったものが次第に華美な工芸品となり、段数も増していったようです。かつての大名のお姫さまの雛人形は、今もその時期になると各地の博物館などで展示されますが、浮世絵を見ると、雛人形よりも桃の節供の御馳走や白酒のほうに焦点が当たっているものもあります。また、飾り段が増していくのはだいぶ後の傾向で、おびな・めびなだけしか描かれていないものが多いことも分かります。
 
花より団子、お雛さまは?
そうしてみると、金の屏風を背景にして、内側を黒く塗りこめたハマグリのゆるやかな湾曲面にすんなりと腰を落ち着けたmichikoのおびな・めびな、そのやわらかな彩色は、要所要所に金のメリハリを効かせて、より平安絵巻風にあてで雅なように思えます……これはもしかしたら……自物自賛、あるいは身びいき?
 ともかく、衝動的に買いはしたものの、それから先のことは何も考えていませんでした。スペースはとらないにしても、毎年せいぜい一週間か十日だけ日の目を見る、あとは箱のなかに元通りしまい込んで、押し入れか棚の上に片付けておくだけです。それに、飾ると言ってもいったいどこに飾るのかしらん? ほとんどうちには居ないのです。週日だけでなく、土日も毎日職場に出かけて一日の大半をそこで過ごしているわが身を考えると、さすがにうーーーんと呻いてしまいました。
さあさ、まずはいっしょに飲みましょ
  そこで再び意を決し、おびな・めびな、その他一式の入った大きな紙箱をなんと職場の自分の部屋に持ち込むことにしたのです。そうすれば、michikoだけではなく、学生たちや職場の同僚にも紹介して、場合によってはひな祭りも一緒にできる……かもしれない……
 まあ、結果から言うと、本や書類が雑多に積み重なった大き目の机の片隅を空けて、毎年お雛祭りの時期に姿を現すこのおびな・めびなのミニ宮廷に関心を寄せてくれる人はほとんどなく、紹介後は皆さん一瞬笑顔だけつくって素通り……宵闇の迫るころ、しごくご満悦のおももちで、「少しシロザケ」ならぬ別種のアルコールを「召され」、「赤いお顔」で彼ら二人を愛情深く眺めやっているのは、随身の右大臣ならぬmichikoひとりでした。まあでも、雛人形はそっちのけ、お雛祭りを飲酒のかっこうの口実にしている女性たちも昔からいたわけですから……
 ああ、世ひととはこころを一にすることかくもむつかし、げにはかなき世のなかかな……と嘆き悲しむこともすでになくなり、職を退いた近年のmichikoは、桃の節供が近づくと、いそいそとお気に入りの茶箪笥の上に自慢のおびな・めびなを飾り、ひとりご満悦の体で春の陽ざしを楽しんでいます。いえいえ、まだ陽だまりの猫のように、縁側で背を丸めてうたたねの日々、ではありません。いまや次なる活動を物色中……
まずは二人でひなあられ(お酒は?)
 しかも今年はなんと、とあるハプニングのせいで山荘からしばし緊急避難してきたYoshiと並んで、こちらもおびな・めびなよろしく、二人でお雛祭りを祝い、スーパーでようやく探し当てた雛あられ(定番だったはずのひし餅は残念ながら見つかりませんでした!)をぽりぽりかじって、Yoshiがいれてくれた、白酒ならぬおいしい緑茶をいただいたのでした。
 子供のころのお雛祭りの話は、また次回ということにしましょう。でも、できるだけ間をおかないようにしますね。やはり四月といえば桜、雛の話はいくらなんでも時季外れですから。とはいえ、こういう歳時記的な感覚は、やはりmichikoも「典型的な日本人!」なのでしょう。



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