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更新日:2022年10月26日

 自己紹介

 ホシくん 賛(1)

 ホシくん 賛(2)

 招かれざる同居者
 または時季外れの怪談


 アシダカちゃんの失踪

 決闘の図像学(1)

 決闘の図像学(2)

 決闘の図像学(3)
 クハガタ兜の由来


 決闘の図像学(4)
 クハガタ――記憶の断絶


 三月は雛の月(その一)
  michikoのお雛さま


 三月は雛の月(その二)
  雛祭りの苦い思い出


 もう6月……
  久しぶりの共同生活(1)


 もう7月……今日は七夕
  久しぶりの共同生活(2)


 もう9月も半ば……
 山荘で見た映画の話(1)


 もう10月も半ばすぎ……
 山荘で見た映画の話(2-1)


 10月もそろそろ終わり
 山荘で見た映画の話(2-2)



michikoの部屋


 10月も終わりに近づき……山荘で見た映画の話(2-2)

 
michikoが大好きなフェルメール
さて、数日前に書いたように(あはは、ようやく先回の記事末尾で予告した期日が守れました!)、山荘でYoshiと見たナチス関係の映画は三本ありました。そして、その三本目の作品『最後のフェルメール ナチスを欺いた画家』(2021)は、ドイツの外側から描かれたナチス関係の映画だということも、先回のお話の最後に予告してありました。
  ナチスに関する映画と言えば、例えば世界的に大ヒットしたその代表例、『シンドラーのリスト』は、ユダヤ系アメリカ人であるスピルバーグの作品で、ハリウッドで制作された映画らしくかなり大衆的アピールを狙ったものでした。とはいえこの大ヒットは、ナチスの意向に反して多くのユダヤ人の命を救ったドイツ人シンドラーの実在、つまり実話に基づく物語だという点に負うところがやはり大きかったでしょう。これに対し、先回ご紹介したドイツで制作されたナチス関係の二本は内部告発的な要素が強く、二度と繰り返すまいとまずはドイツ人に向かって訴えかけるメッセージ性で際だっているように思います。それで、今日お話しする残りの一本、『最後のフェルメール』(2021)は、アメリカで制作された外から見たナチス、そのナチスと関わった非ドイツ人を描いた娯楽作品で、戦後すぐの混乱した時代をうまく描き込み、なかなか面白く仕上がっていました。
ゲーリングが手に入れた「キリストと姦淫の女」

 とはいえ、これもやはり実話を基にしており、自らフェルメールの贋作を制作し、それを画商を介してナチス高官その他の富豪に売り、巨万の富を築いたメーヘレンという実在のオランダ人と、戦後ナチスによって略奪された美術品を捜査していた連合国軍人との物語です。
 メーヘレンはナチスの無条件降伏後の1945年、フェルメールの作品をナチスに売ったオランダ文化財の略奪者として逮捕され、死刑まで宣告されかねない状況にありました。戦時中ナチスの国土蹂躙に苦しめられたオランダでは、戦争犯罪者に対する厳しい処罰が多くの国民の支持を得て求められていたのです。そこで彼は、捜査に当たった連合国側の軍人にそれが自ら描いた贋作であることを告白し、実際にその制作現場や制作過程もつぶさに見せて、自分の言葉が真実であることを納得させます。ところが、フェルメールの権威として知られる著名な鑑定家は、この作品を真作だと宣言して一歩も譲りません。贋作であることを証明するには、当時一般に行われていた鑑定方法では不可能で、絵に傷を付けることを避けられず、事態は非常に緊迫したものになっていきます。さまざまな状況証拠からもメーへレンは次第に追い詰められていくのですが、結局この軍人の名案で贋作であることが証明され、売国奴から一転してナチスを欺いた英雄として、オランダ国民の拍手喝采を浴びる存在となります。この軍人はメーへレンが実はヒトラーにオマージュを捧げていた物的証拠も掴んでいたのですが、この贋作家がすでに死の病に冒されていることを知って、その証拠を握りつぶすところで幕となります。
「最後のフェルメール」を描いてみせるメーへレン(1945)
 この映画の「最後のフェルメール」The Last Vermeerというタイトルもまたなかなか穿った命名です。フェルメールは非常に寡作な画家として知られ、それまで彼の作品とされていたものも次々に別の作家のものだと判定されて、その真作として現在保証されている作品はたったの37点に過ぎません。このあまりの少なさが、他にもまだ必ずどこかに隠されている、あるいは埋もれているはずだという憶測を招き、愛好家の期待も相まって、贋作の出現を促す下地となったようでした。フェルメール作品の「発見」が二十世紀に入ってにわかに増え始めた背景には、このような事情があったのです。とはいえ、この画家の非常に入念精巧な技法や特殊な顔料は安易な模倣・追随を許さず、鑑定方法も次第にレベルが上がっていきます。というわけで、鑑定家の目を見事に欺いてきたメーへレンが、ナチス協力者の汚名と重刑を免れるためにやむなく贋作を告白したとき、彼はその証拠として、法廷の記録係や証人たちの前で何ヶ月もかけて、実際に彼の「最後のフェルメール」を描いて見せることになったのです。これがこのタイトルの意味でした。こういうところもウィッティでしゃれていますね。
メーへレン「エマオの食事」(1937)
 ナチスがヨーロッパの多くの国々を占領した時代に、彼らがとりわけユダヤ人富裕層から数々の美術品や貴重品を没収・略奪あるいは不当な安値で買い取り収集に努めたことはよく知られています。ヒトラーとその後継者とされたゲーリングは、直属の特捜隊(ERR)に収集・強奪を命じ、あるいはナチスに協力的な画商を通じて、ヨーロッパ中から古典的名画の獲得に努めました。すでに十七世紀オランダ風俗画の一大コレクションを持ち、自身の宏大な別荘に飾っていたゲーリングが寡作家のフェルメールを求めていることを聞き知ったメーへレンは、自身の贋作を高額で売り大金を得ます。彼は他にも同時代の別の画家たちの贋作を何点も描いており、現在もなお真作か贋作か判断がつかないものもあるようです。実は、オランダのボイマンス美術館(ロッテルダム)に地元の富裕実業家から寄贈された「フェルメール」も、真作だと保証する専門家の鑑定結果を受けて高額で購入された作品でしたが、それが結局ニセモノだったと明らかになって以降は、「メーヘレン作」という実名表示に切り替えて、現在も展示され続けています。
クリムト「黄金のアデーレ」
 戦後、ナチスが不当に略奪・没収し、その後それと判明した美術品・芸術品をその正当な持ち主に返そうという運動が盛んになったことを反映してか、このナチスによる収奪をモチーフとする映画がいくつか作られています。michikoが冬休みにYoshiと一緒に見た『ミケランジェロの暗号』(2013)や『黄金のアデーレ 名画の帰還』(2015)も、切り口は異なりますが、この同じモチーフが物語をひとつの全体にまとめ上げています。2018年には、このナチスの美術品強奪という行為とその背景や意図に追ったイタリアのドキュメンタリー映画『ナチスvsピカソ』も公開され、そこではナチスの犯罪が引き起こした事実そのものの重みと、その事実がもたらしたもはや修復不可能な過去と現在の亀裂と切断、時間の不可逆性が生々しく浮かび上がっていました。
 因みに、この時代には美術品だけでなく、楽器もまた同様の数奇な運命を辿ったことが知られています。ナチスは自国の優れた演奏家たちの芸術による国家への奉仕に対し、占領地域から強奪・没収した由緒ある楽器を特典として与えてもいたからです。そしてこの問題についても、戦後、元の持ち主への返還運動が起きます。
ゲッペルスからストラディヴァリウスを贈られる
諏訪根自子(ベルリン、1943)
 戦前の日本で美少女天才ヴァイオリニストとして名を知られた諏訪根自子は、1936年に外務省の後援を得てベルギーに留学します。その後二次大戦が勃発すると、彼女は当時のドイツ大使であった大島浩との縁故からドイツで演奏会や兵士慰問音楽会を依頼され、その功労を讃えられてナチス宣伝相のゲッペルスからストラディヴァリウスを贈られていました。このことが戦後大分経って海外から注目されるようになり、諏訪はこの楽器の鑑定あるいは返還を求められたのです。彼女は結局それに応じないまま2012年に91歳で亡くなりました。楽器というのは絵画その他の美術品よりも演奏家にとってずっと身近な、ある意味、自分の身体の一部として意識されているようなところがあります。この件に関して諏訪は、少なくともその入手に際しての責任は全くなかったわけですから、すでに長年その身体の一部となっていたものを、その来歴がもつ非人間性を理由に剥奪してよいものかどうかについては、michikoも正直疑問を感じるところがあります。それは単なる高額の資産(遺産)ではないからです。したがってこのような要求・要請権をもつ正当な所有者あるいは遺産相続人やその代理人は、弾き手である現在の持ち主の意思を十分に汲んで、その死後に実際の鑑定結果を待って諏訪の遺族と交渉するような余裕があってほしいなと思います。略奪された人々、その多くが虐殺死の瀬戸際にあったユダヤ人だったことに思いを馳せるならば、その判断はなかなか難しいのですが……
 さて、この希代の贋作家メーへレンに関しては、彼がなぜ贋作づくりに手を染めるようになったのかという問題意識から、オランダで彼の伝記的事実にかなり忠実な映画『ナチスの愛したフェルメール』(2017)が作られています。michikoは山荘から戻ってたまたまこの映画の存在を知ったので、一人で見てみることにしました。以前フェルメールの研究書も少し読んだことがあり、メーヘレンという贋作家の存在も知っていましたので、本国のオランダで制作されたという点にとりわけ興味が湧いたのです。
メーヘレンが1932年~1938年に贋作を
制作した館〈ヴィラ・プリマヴェッラ〉
 この映画では、メーヘレンが古典的な絵画を称賛する一方で現代芸術をこき下ろし、不遇をかこつなかで、自身の画才と技量を認めようとしない大御所たちの鼻を明かしてやりたいという野心に取り憑かれていたこと、贋作業を軌道にのせてからは多くの不動産を手に入れて派手な生活を送り、美術品の強奪・収集に血道を上げるナチスとの接点が増えていったことも細かく描かれているのですが、『最後のフェルメール』の最終場面で示されていたヒトラーへの彼のオマージュを説明するような動機はどこにも見当たりません。
 そもそも、メーヘレンがオランダ国家及び国民の大きな怒りを買ったのは、彼がオランダの誇る最高の美術品を不正な方法で手に入れ、国家の敵であるナチスに高額で売却したと考えられたからでした。それが彼自身による贋作だと分かり、ナチスの大物ゲーリングがその偽フェルメール「キリストと姦淫の女」を手に入れるために、仲介した画商に137点もの略奪絵画を提供していたことが明らかになったとき、それまで激しい非難を浴びせていたオランダ大衆は、彼をたちまち国民の英雄に祭り上げ、してやったりと歓呼の声で迎えたのです。この圧倒的な熱気のなかで、メーへレンが記したヒトラーへのオマージュは捜査を担当したごく限られた人のみが知る事実にとどまり、彼自らは自身にとって大きな不利となるこの行為に一切触れることはありませんでした。裁判の最終判決(1947)は「贋作及び詐欺罪」で禁固一年。彼はすでに体調を崩しており、収監される前に心臓発作で入院、その後しばらくして亡くなっています。とはいえ、この贋作行為が明らかになった1945年以降も彼は画業を続けていました。「メーヘレン」と実名で署名された作品の人気は高く、十七世紀オランダ風俗画風の肖像画を注文するお金持ちは少なくなかったようです……うーん、これはmichikoにもなんだかよく分かるような気がします。
 例えば、下のいかにもフェルメール風の婦人像、これは上にその写真を挙げた〈ヴィラ・プリマヴェッラ〉滞在時代、つまりメーヘレンの贋作黄金時代とも言うべき時期に描かれたものの一つなのですが、自分もこんな風に古き良き時代の雰囲気のなかで描かれてみたい、あるいは自分の妻もしくは愛人を(あはは)こんな風に描いてもらいたいと思ったお金持ちが少なからずいたことは容易に想像がつきます。こんな絵が一枚壁に掛けられている居間……とても居心地がよさそうですよね。オランダ風俗画というのはもともと、それほど大きくない室内のアットホームな雰囲気を醸し出す、市民生活にとってかけがえのない装飾でした。フランスでは油絵がまだ貴族のものだった時代、市民の部屋の装飾としてはせいぜいその油絵の銅版画コピーがようやく普及し始めた十七世紀に、オランダでは農家でさえ油彩画を飾っていたのです。そしてこの精神は、ずっと時代を下った十九世紀末の画家ゴッホにもそのまま受け継がれていたものでした。
偽フェルメールによる婦人像(1937)
 それにしても……この映画でもとくに触れられていないメーヘレンのヒトラーへのオマージュは、時の最高権力者への単なるおもねりだったのでしょうか。
 彼はすでに贋作によって裕福な資産家になっていた1942年に、自身のドローイング集を豪華本で出版し、一部をヒトラーに献呈します。そこには自身の署名とともに、ドイツ語で「敬愛するヒトラー閣下、こころからの感謝を込めて」と記されていました。彼が本当に自分を天才的な贋作家と見なしていたならば、うまく騙しおおせて実利が大きければ、それで十分満足できたでしょう。彼は自作の「フェルメール」をナチスに売り込む際にも、自身で画商を務めて折衝したわけではなく、気心の通じた画商に仲介させていました。そうだとすれば、自著の「ドローイング集」の献本は彼の画家としての自負心がなさしめた行為だったはずです。つまり、彼のヒトラーへの「敬愛」は、ヒトラーの古典的芸術観が、画家として認められたいと念じながら果たせなかった自分のそれと重なると信じたからこそではなかったかとmichikoは思うのです。ヒトラーの異常なアーリア民族優越主義に基づく芸術観は古典的な芸術のみを称揚し、近現代芸術を「頽廃芸術」として糾弾するものでした。彼はその凝り固まった芸術観を国民に徹底的に教え込もうとして多くの古典的美術品を略奪させたのですが、メーヘレンの方はこの根本のアーリア民族主義は共有しなくとも、古典的な絵画のみが真の価値をもつ絵画だと信じ、実際の、あるいは理想的(古典的)な形を積極的に壊そうとするピカソ、マティス的な現代芸術を軽蔑していました(彼の実作を見ると、かなりモダンで大衆的な作品もありますが、形を壊すことまではしていません)。この点で彼はやはり、単なる虚栄心からではなく、ヒトラーの芸術観と芸術政策に深く共鳴するところがあってオマージュを捧げたのではないかとmichikoは想像しています。もちろんこの政策によって、メーヘレンも益するところが非常に大きかったのは事実ですが……

 それにしても……ナチスのこのとてつもない規模の暴力性を思うたびに、そして日本の、更には他国の忌まわしい過去へと連想が広がるたびに、全体主義的国家というものの果てしない妄想が引き起こす悲惨な末路に茫然とします。なんという時代だったのだろうと振り返るだけでなく、なんという時代なのだろうという現実も今なお存在し、人間というのは実にすばらしいところもあるのに、実に実にやっかいで度しがたい生き物でもあることを日々実感する今日この頃です。

 



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