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 ロラとロルの神様さがし menu

更新日:2023年10月28日
       (最終回)


1: 神様の国なのに、
   どうして神様がいないの?


2:神様さがしのはじまり

3:鳴き声

4: いつもしずかに笑っている

5:お墓と御神体

6: 見えていて、見えてない

7: ふりむかないあいだは、
         そこにいる


8:古い神様と新しい神様

9:森の神様、森が神様

10:神様はどこにでもいるよ

11:温暖化と寒冷化

12: そこにいるけど、
       どこにもいない


13:団地の子育て

14:巣立ちのすがすがしさ

15:森と山の通い路

16:森のいぶきと子供たち

17:名代の木

18: アップルパイ・
         パーティー


19: 森と山と川をつなぐもの

20: ボクたちを包む神々しさ

21:生き物だけの進化

22:宇宙の〈四大〉

23:場所とそれをこわす力

24:内なる四大、内なる神様

25:護られて、護る


ロラとロルの神様さがし
――前篇:聞き取り調査――


朗読・michiko

1:神様の国なのに、どうして神様がいないの?

  小鳥はとくにお日様が好きです。日の出も日の入りもきちんとおがみますし、水浴びをしたあと、ぼんやり梢に留まっている時も、なんとなくお日様を気にしてチラチラ見たりしています。そう、だいたいこういう感じです。これはロラとロルの注文で描きました。巣立ちをしたばかりのジョウビタキの若鳥で、「お日様をのんびり見て、そよ風の薫りをかいでいる感じがなかなかよかった」のだそうです。
 
ジョウビタキの若鳥
同じような画題でもう一枚描きました。これはリスのリリーやキビタキのキビオも知っている、ミソサザイのサザンです(『クラとホシとマル』にもちょっとだけ登場します)。「もう少しはっきり、お日様と自分の関係を意識してるのがなかなかいい、しっかり見上げてる」というのが、ロラの評でした。でもすぐ、横からキビオが注意しました。
 「サザンは水浴びしたばっかりだよ。だから羽がぬれてるでしょ。そういう時はお日様のあったかさがとっても気持ちいいんだ。だから見てるっていうより、からだのぜんたいで感じてるんだよ。」
 リスのリリーも賛成しました。
「わたしは秋の森の木漏れ日が大好き。ドングリとかブナの実を集めて一休み、ぽりぽりって味見してるときに、チラチラほっぺの上でひかりがゆれたりすると、ああいいな、生きてるなって感じる。そうよね、やっぱり感じじゃない? 見てるっていうより感じてる。神様にしっかり護られて、この森で生きてて幸せだなって、そういう感じ。」
 「それはね、そうだけど、でもちがってるよ。」
 ロルが笑いながら言いました。
お日様を見ているミソサザイのサザン
 ちょっと順序立ててお話ししますと、わたしはこのとき、山荘のアトリエで、ホシの思い出話をリリーやキビオとしていたのです。ホシはホシガラスという鳥で、わたしは登山の時に知り合いました。チングルマのお花畑を前山の山頂近くに作ってあげるのに大変功績があった子です。その功績で星空に引き上げられ、「小ホシガラス座」という星座になったという噂があり、わたしもその噂を作品に取り入れたことがあります。リリーやキビオは、ホシ自身ではなく、ホシの甥のホシ君(伯父さんと同じ名前です)と知り合いで、その子からいろいろこの噂やなにかを聞いたついでに、「ヨシが知り合いだったらしいよ」と言ったので、その「噂の真偽」を聞きにたずねてきたわけでした(というより、お茶とナッツにひかれてやってきたのかもしれませんが)。それで、ホシと登山のおりに知り合ったことを話していると(霧の山の中だったのですが)、ぱっと明かりがともって……ではなくて、明るい玉が現れて、ロラとロルが手をふってくれていたのです。机の上に紙と絵の具があるのを見て、すぐロラが注文を出しました。「神様を見ている小鳥さんの絵」の注文です。
 これがイントロのイントロです。前の場面にもどりますと、ロルは、「ねえ、ミノスがそう言ってたよね、お日様を感じて、あこがれて、見たくなって、飛び立つって」と姉さんのロラに言います。ロラもにっこり笑って、「そう、それが森の神様を信じることの始まりよね」と言います。
 「ミノスさんって……牧師さん?」
 リリーが聞きますと、キビオは「神主さんかも」と横から言って、また〈ナッツよりどり〉の袋からピスタッチオをつまみます。パチッといい音がして、からが割れました。
 「ちがうよ、ミノムシの子。森で会ったの。」
 ロラはくすくす笑いました。ロルと二人で、秋のブナの森に出かけ、そこで「一番黄色いはっぱ」を探す遊びをしていた時、とってもきれいな葉っぱから、茶色い細いものがたれさがって風にゆられています。なんだろうと思ったら、小さなかわいい虫が顔を出しました。そして木漏れ日をからだに浴びながら、こう歌ったそうです。

 〈おひさま あきのおひさま
  ふゆごもりのじゅんびもできました
  これからひとねむりして またはるにおあいします
  おひさまのめぐみを ぜんしんにあびて こうしてぶじ
  いのちをつなぐことができました
  おとうさんも おかあさんも もういません
  ぼくをのこすことが じんせいのすべてのもくひょうでした
  ぼくがいるということ そのことが せいこうしたじんせいのあかしです
  みなしごのぼくですが おとうさん おかあさんの よろこびを そのあいを
  このちいさなからだいっぱいにかんじて こうしてかぜにゆられています
  おひさま すべてのいのちのまもりての おおがみさま
  おひさまをかんじて そしていのちのさかえにあこがれて
  おひさまのおかおをみるために はるのそらにとびたちたいとおもいます
  そのすばらしゆめをみながら ながいきびしいふゆをいきぬくつもりです〉

ミノムシのミノスの巣ごもりの
歌を聞くロラとロル
 この絵は、あとからですが、ロラとロルのお話を元に描いてみました。おひさまを上に描き込むべきかどうかちょっと迷いました。でもそれはまだ「感じてあこがれる」神様ですから、ひかりだけにしておきました。「かんじ出てるね、楽しい森だったよ」とロラが言ってくれたので、ちょっとほっとします。
 ともかく、わたしの書斎で、ロラが細い声でこの歌を歌ってくれた時は、わたしたちもなんだかしんみりして、秋のお日様をからだにいっぱいあびている、そういう気がしたのです。でも歌い終わったロラは、ふっとためいきをついて、悲しそうな顔になりました。その顔でキビオを見ますと、キビオはちょっとぎくっとして、ピスタッチオをつまむのをやめました。
 「ま、まちがえないでね、その子、もし春まで生きられなかったらボクのせいじゃないよ。ボク、秋はきほんベジだよ。他の季節は虫も食べるけど、だいたいちっこい羽虫くらいだし……」
 「だいじょぶだよ、元気に飛んでったよ。ミノスのお家はね、春に見たら空だったから。」
 ロルが元気にこう言ったので、キビオはちょっとほっとした顔をしました。
 「わたし、ロラが悲しくなったわけ、ちょっとわかる気がするな。」
 リリーは好物のミルクティーを、ふーふー吹いてすすりながら言いました(砂糖たっぷりのダージリンです)。
 「そういうふうに、神様にあこがれるところまでは行くのに……ほんとうに探す子が少ないからでしょ。」
 「そうなの……その子もね、大人になったら、すぐ〈かのじょ〉さがしに行っちゃったみたいし……ちょうちょさんから聞いたの、『けっこうませた子だった』とか言ってた……」
 「それはね、かんねんれんごう、じゃないかな。」
 リリーはちょっとむずかしいことばを使いました。でもすぐ、「あ、がくしゃっぽい」と言ってキキキッと笑います。ロラはうなずきました。
 「おかあさん、おとうさんのイメージと、優しいおひさま、神様って、なんかまぜこぜになるってことでしょ。それは……わたしたちもそうだったし……」
 ロラとロルはこの地球にやって来る前に、おひさま、つまり太陽のすぐそばを通って、その優しさとこわさの両方をつよく感じたようなのです。ひかりのこどもたちは、どうやら強い光の星に憧れながら、でもその光に溶け込むことはできないようなのでした(それは科学的に言えば、始原の光と、そのあとにできた物質の発する光の差異なのだと思います)。
 「なんかさ、こどものころって、みんないっしょになってるよね。わたしも兄さんいたんだけど、いっつも遊びながら、母さん父さんさがしにいこうね、お日様に聞いたらきっとわかるよねって言ってた。ヨシに描いてもらったこともあるよ。」
 わたしは書斎の棚をさがして、リリーと兄さんの絵を入れたポルトフォーリオ(画帳のようなケースです)を見つけました。取りだして机の上に置くと、リリーはなつかしそうにのぞきこみます。
 
兄さんとあそぶリリー
「わたしたち、みなしごだったんだ。兄さんもすぐ死んじゃって……でも優しい神様のところに行ったのかなってそう感じた……だからわたしは死なずにすんだのかもしれないし……」
 リリーはふーっとためいきをつきました。それから絵をまた見て、小さな手でお兄さんを指しました。
「ね、こっちの巣の中の子が兄さん、わたしよりずっと静かで考え深かったの。神様のこととか考えたりしてたからだと思う。」
 しばらくみんなで、亡くなったリリーの兄さんをしのびました。
 それからまた神様の話です。ロラとロルが「ひっかかってること」がだんだんわかってきました。つまり……このわたしたちの日本と神様の関係ということです。それはもともとお日様のもと、お日様のすぐ下の幸福な国という意味でした。
 「だから、お日様にあこがれて、神様をさがす人がすごく多い国だったんでしょう? 図書館で読んだけど、〈やおよろず〉っていって、八百万? それより多い神様がいたって書いてあったよ。たしかにわたしたちが見た山にも川にも森にも、神様の気配があふれてるし。」
 「その代表はなんといっても、あの〈根の山〉だね。」
秋の富士山遠望
 キビオはこう言って、壁にはってある絵を見ました。秋口の富士山を描いてみたものです。定型ですが、わたしもこういう風景はかなり好きなのです。そこにわかりやすい〈神気〉のようなものを感じるからかもしれません(この言葉は、「精神的な気概」の意味で使われることが多いのですが、わたしはもっとストレートに、神様の気配を感じてこの言葉を使うことが習慣になっています)。ロラはうなずいて、でもまた少し悲しそうな顔をしました。
 「そう、あの山、わたしたちも大好きよ。でも……登ってみてがっかりした。だって……どこにも神様はいないんですもの。いろいろな観測をしたり……研究所があったり……地震のこととか火山噴火のこととか、とっても大事なのはわかるけど、登ってくる人たちや生き物たち、鳥たちも、もう山が〈御神体〉とか感じてないと思う。それで下に行って、また遠くから見ると、こういう風にとってもいい感じでしょう。なんかおかしくない? 遠くから見てこうなのに、近くにいくとゴロゴロの赤い岩だらけ。登山客の帽子ばっかりきれいで……」
  わたしたちも、なんだかこれは変だなと感じはじめました。でも何が変なのかは、いまひとつわかりません。ロルもこう言います。
 「そうだよ、変な話だよ。地球ってやっぱりどっか変だよ。だって、山も森も川も、神様の気配にあふれてるのに、そしてそこに生きてる生き物たちも、みんなそれを感じてるのがわかるのに、神様を見たことがないんだよ。感じてて……でもほんとに見たことがない、どうしてなの? それがすごく不思議……」
  姉弟は顔を見合わせます。これは……大変に大きな、深い問題だなと感じました。それでわたしたちも、不思議に申し訳ないような悲しみを感じて、しばらく沈黙に包まれたのです。
 それがどういう風に明るくほがらかになっていったか、それを次にお話しすることにしましょう。




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