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 ロラとロルの神様さがし menu

更新日:2023年10月28日
       (最終回)


1: 神様の国なのに、
   どうして神様がいないの?


2:神様さがしのはじまり

3:鳴き声

4: いつもしずかに笑っている

5:お墓と御神体

6: 見えていて、見えてない

7: ふりむかないあいだは、
         そこにいる


8:古い神様と新しい神様

9:森の神様、森が神様

10:神様はどこにでもいるよ

11:温暖化と寒冷化

12: そこにいるけど、
       どこにもいない


13:団地の子育て

14:巣立ちのすがすがしさ

15:森と山の通い路

16:森のいぶきと子供たち

17:名代の木

18: アップルパイ・
         パーティー


19: 森と山と川をつなぐもの

20: ボクたちを包む神々しさ

21:生き物だけの進化

22:宇宙の〈四大〉

23:場所とそれをこわす力

24:内なる四大、内なる神様

25:護られて、護る


ロラとロルの神様さがし
――前篇:聞き取り調査――


朗読・michiko

12:そこにいるけど、どこにもいない

  ナキウサギは、古いタイプのウサギで、冬毛を持ちません。そして耳もわりと短いのです。ライチョウのライラは、突然生え始めた白い冬毛におどろいて、同じ事がウサギにも起こっていることを知り、お友だちのチッチをたずねたのでした。
 
ナキウサギ
「そうだよ、ライラとおなじくらい、お腹が白くなったウサギがいるよ。でもボクたちじゃなくて、草原ウサギ。ほごしょくじゃないかって、父さん言ってた。」
 「ほごしょく?」
 「うん、雪原がどんどん広がってるでしょ。そしてあの〈新人〉? 新しくやってきたらんぼうな人間たち、大きなゾウがもう少ないんで、ウサギとかも追いかけはじめたみたい。」
 ライラはちょっとどきっとしました。じつは……ライチョウも時々、あの槍を持った人間達からねらわれはじめたらしいのです。
 「もうこうなったら、かえって思い切り寒くなったほうがいいかも。そしたら乱暴者もそんなに森とか林とかを駆け回れなくなるでしょ。雪山は安全だと思うよ。」
 ライラは自分の白いお腹を見ました。そして「ぴんとひらめくもの」がありました。雪原のむこうに見える大きな雪山が、なんだかとてもたのもしく、優しくみえはじめていたからです。それはひょっとして……いざとなったら雪山に逃げておいでという、そのしるしなのではと感じたのです。
 そしてそれはその通りになりました。
冬毛のはえきったライラ
 まず、数年でライラの冬毛はすっかり生えそろいました。そしてそのころには、ライラに似た子たち、冬毛のはえはじめた子たちが、群れの中にだんだん増えてきていたのです。もうライラたちを「おかしな子」と見るライチョウはいなくなりました。それは……ライラがそっせんして、雪山での生き方を教えはじめたからです。ライラはお告げの夢を見たのです。
 その前に、おそろしい出来事がありました。ライチョウのヒナたちがたくさんさらわれたのです。さらったのは村の子供たちでした。いままでいっしょに遊んでくたびれると、また草原にかえしてくれていたのに、もう一羽のヒナも帰ってきません。おそろしいことですが……「食べられてしまった」という噂でした。それにはまたあのゾウのことが関係していました。とうとう狩り尽くされてしまったのです。ゾウを追いかけながらこの大草原にやってきて、草原中にひろがった人間たちは、ゾウを食べ尽くすと、もうみさかいなくあらゆるものを殺して食べるようになったのです。
 殺された子の中には、ライラのお友だちもたくさんいました。草原のいわかげで泣きながら眠ったその夜、ライラは山の神様の夢を見たのです。神様はライチョウではなく、人間の姿をしていました。白い服を着た、とてもりっぱなお年寄りだったそうです。ライラが雪山を歩いていて、そこにふと面白い足跡がありましたので、つけていくと、岩の上にりっぱな神様がいたのです。ライラは平伏しました。それが山の神様だとわかったからです。でも、どうしてもうライチョウの姿をしていらっしゃらないんだろうと不思議に思いました。童話や伝説に出てくる神様は、いつもライチョウの姿だったからです。それは神様にもわかったようです。優しい声がしました。
 「わたしたちのすがたは、まぼろしだよ。その時々に、山川をあずかることのできる、そういう生き物のすがたであらわれる。いまだと……ざんねんながらこのすがたということになるね。しかしね、だいじなことは見てくれではない。姿ではない。そうではなくて、信仰のみなもとを保つことだよ。みんなじぶんたちのこころの声を聞いて、自分を超えた者の気配を感じて、それが神様だとみとめること、それが信仰なのだ。それでライラはどうだね……悲しい事がおきたようだが、まだ正しいおきてにのっとった行いを求めていきたいかね。それとも……あのらんぼうものに復讐したいかね……」
 神様はとても悲しそうでした。それは……生き物のなかには「復讐」にはしるものも、もう出始めていたからです。たとえば「狩猟人」と「狩りのライバル」だったらしい雪オオカミや、白クマがそうでした。そしてそういう「正義の生き物」をしじする他の生き物、たとえば親を殺されたナキウサギの子や、子を殺されたライチョウの親ももうちらほら出始めていたのです。でも……ライラは自分にさいしょに冬毛がはえはじめたのは、きっと神様の「隠された意図」があるにちがいないと感じていました。それでかしこまって、こう言いました。
 「いいえ、復讐したいとは思いません。人間も飢えて死に始めています。この厳しい寒さは、わたしたち生き物すべてのなんぎだと、そう長老様もおっしゃいました。わたしもそう思います……でも飢えた人間は、そのうちに死に絶えるかもしれませんが(もうなかまどうしで争いはじめたと聞いています)、その前にわたしたちは狩りつくされ、食べつくされてしまうでしょう。どうすればいいのでしょうか。」
 神様は優しくうなずかれました。
 「自然はね、厳しい。突然の寒さや熱気がやってくる。地震や噴火もある。でも、困難に立ち向かうてだてはあるんだよ。ほら、わたしはいまこれをはいている。雪原はとても冷たいからね。」
 神様は自分の足を見せました。大きな不思議な足だとさいしょ思ったのですが……木の皮であんだ大きな靴だったのです。中にはふわふわした白い物がつめてあって、たしかにあたたかそうでした。神様はその白い毛を見せます。
 「これはね、ウサギの毛だよ。草原ウサギは冬場はもう真っ白い長い毛におおわれている。その冬毛が夏にぬけかわるのを集めてみたんだ。なかなか快適だよ。お前たちライチョウからももらおうかなと思ってる。くれるかね? わたしももう歳でね、寒さはこたえるんだ。」
 神様はたしかにお年で、そして薄い白い服はあまりあたたかそうではありません。すこし両手でからだを抱くようなまねまでなさるので、とてもかわいそうになりました。それですぐ、「ええ、きっとさしあげます」と約束したのです。
 「ほら、ライラももうだいじょうぶだよ。わたしと同じ足になってる。」
ライチョウの冬毛におおわれた足
  神様はわらいながら言いました。すると……ライラは自分の足を見て……びっくりしました。たしかに大きな足にふわふわふくふくの綿毛がいっぱい生えているのです。そうだ、だからこんなに冷たい雪の原を歩いても平気だったんだとわかりました。
 「その足でね、わたしの山に来なさい。そこで暮らしかたを教えてあげるよ。人間が山に登るようになるのは、まだずっとあとだからね。雪山での暮らしをおぼえて、草原のことはしばらく忘れなさい。あとのことは、またその時に考えればいい。氷河も永遠に続くものではないからね。」
 こう優しくおっしゃて、すうっと神様の姿が見えなくなると……ライラは目がさめたのでした。
 これはヒナのカロがロラたちに教えてくれた、〈ライチョウと雪山の神様〉のお話を、つづめて紹介してみたのです。ここまで話してきた時、カロは、「ほら、ボクの足もけっこうりっぱでしょ」と立ち上がってみせました。すると……たしかにきゃしなからだなのに、足はもう太くてしっかりしていますので、キビオたちもすごく感心しました。
立派な足をもったヒナのカロ
  「でも……ライチョウの神様が人間の姿って、すごく面白いね。」
 ロルがこう言うと、キビオとホシは顔を見合わせました。それは……ふたりとも、「神様とはそういうものだ」と思っていたからです。神社にいきますと、神様が人間の姿で描かれています。ごくたまには、シカや鳥として現れるところもあって、その絵もあります。でもたいていは人間ですから、ずっとそれを見てきたキビオとホシは、「そういうものだ」と思ってきたのですが……それはたしかに変と言えば変でした。
 「そうだね……精霊様までは、鳥は鳥、キツネやクマもそのままの姿だけどね……どうしてかな……」
 ホシは首をかしげます。
 「きっと……その神様のおっしゃるとおりじゃないかな。山や川をあずかるのがゾウの時代、クマの時代、そして人間の時代って下っていくと、神様の姿もかわっていく。それはそうした方が『わかりやすい』からじゃないかしら。」
 このロラの説明が、キビオたちにもいちばんぴったりに思えました。でもロラ自身は、いちおうこう言ってみたものの、「ここには神様の大きな秘密もかくされている」と感じたそうです。その時の「感じ」を、あとでわたしに説明してくれました。
 「ね、神様ってみんなの神様だから、みんなの姿で顕れるけど、そのつどの代表っていうのは……やっぱりクマだったりゾウだったりする、そして今は人間かなって、だって……だって神様は神様で、わかりにくいと困るでしょ。」
 「そのお姉ちゃんの説明、わかりにくい。」
 ロルはくすくす笑います。ロラも笑って肩をすくめました。
 「ヨシはどうしてだと思う? 神話とか研究してたんでしょ。」
 ロラが追求します。わたしは……知っている神様の像をざっとこころに反芻して、これはたしかにむずかしい問題だなと感じました。
 「そうだね……参考になるかどうかわからないけど、人間もね、昔にいくほど、神様は人間ではない、もっと神々しい生き物にちがいないって感じてたみたいだよ。たとえば知恵の神様は、人間の姿でアドヴァイスしてくれてるんだけど……興奮するととつぜんフクロウになって飛び立ったりする。ギリシアの神話とかにあるんだけどね。」
 だから……ひょっとしてこれを逆にたどっていくと、やはり神様はフクロウそのもの、ゾウそのものだったかもしれないとわたしも思いました。
 「ボクにわかるのはこのくらい。人間って頼りないでしょ。」
 こう言うとロルは、「わかりやすく頼りないね」となかなかうがったことを言って、くすくす笑いました。ロラは……ちょっと不満そうにわたしを見ていました。きっと「まだなにかうらがある」と感じたのかもしれません。
 うらは……あるように感じますが、まだみなさんにお話できるほど、はっきりと見えてはいません。ですからひとまず、カロの「ライチョウと神様」のお話にもどりましょう。
 ライチョウたちは、ライラの夢のお告げをすぐ信じて、雪山に行き、そこで暮らしはじめました。おなじころ、ナキウサギたちも逃げてきました。それは……人間の乱暴がどんどんひどくなっていったからです。でもふくふくの冬毛と冬足をもったライラたちライチョウは、深い雪山の中で無事に暮らすことができました。ナキウサギもおなじです。冬の間に岩間や洞窟にかれくさをしきつめ、あたたかく暮らす方法を、やはり神様が夢のお告げで教えてくれたのです。しばらくすると、白い毛の冬ウサギもどんどん山に逃げてきました。
 こうして夏毛と冬毛にまもられたライチョウたち、チッチチッチと鳴き交わすナキウサギたちは雪山で平和に暮らしました。毎年、春に冬毛がぬけかわると、神様が現れた大きな岩(夢で見たのとそっくりな岩があったのです)の前にまとめて〈奉納〉しました。すると不思議なことに、翌朝にはすべて冬毛は消えているのです。そのかわり、おいしいハイマツの実がどっさり岩の上に積んでありますので、今年も息災だと安心して暮らせるのでした。そのあいだにもどんどん氷河は大きくなり、雪原は広がったのですが、それでも安全に平和に暮らすことができたのです。
 でも雪原では、どんどんひどいことになっていました。あの「狩人」たちが、もともと平原にいた人々、平和に暮らしていた人々を「どれい」にし始めたのです。もっとひどい話もあります……「資源」にしはじめたというのです。これはあんまりですから、思い浮かべたくもありません。やめておきましょう。ともかく、そういう時代になって、とうとうその「どれい」の子が二人(兄妹だったようです)山に逃げてきました。冬山がきらきらと神々しく輝いているのを見て、もういてもたってもいられなくなったのです。でも雪山に入って、食べるものもなく、凍えて死にそうになりました。
 その時、ライラから数えてもう何代目かになりますが、レイラというよく夢を見る子がいました。その子が雪山の神様の夢を見ました。神様は、「困った子たちが逃げてきている、助けてあげなさい」とおっしゃったのです。それでその子供たちをさがして、もう凍え死にしかけているのを見つけました。介抱してあげたあと、洞窟にかくまってあげたのです。レイラはあの神様がはいていた長靴のつくりかたも教えてあげました。
 子供たちはナギとナミいう名のりはつな兄妹で、長靴の作り方もすぐおぼえ、レイラたちに感謝して山をくだりました。森に隠れてくらしながら、どうするかを考えたのです。山の神様は、ナギとナミの夢にも現れて、「脱出」を勧めたようでした。そのことをレイラも夢で知りました。もうレイラはお母さんになっていたのですが、子供のリラとリル(兄妹だったようです)に言いました。
夢のお告げを子供たちに語るレイラ
 「よく聞いてね。おともだちの人間が苦労している、助けてあげなさいって神様は言われたの。もう少しであなたたちも雪原を歩けるようになる。雪原をかすめて飛べるようになる。そうなったら、あのナギとナミをさがして、道案内をしてあげなさい。お日様の生まれる島がある、そこに行けば平和に暮らせるって、そう神様はおっしゃったの。」
 リラとリルは、飛べるようになると、すぐ山をくだって、ナギとナミを見つけました。ふたりはちょうど、あの乱暴な狩人たちの村から、どれいあつかいされていた父さん、母さん、それにたくさんの仲間たちを逃がそうとしていたのです。リラとリルが「道案内してあげるよ」と言うと、二人はとても喜びました。そういう「神様のおつかい」の鳥がくると夢に見ていたからです。
 こうして「どれい」にされかけた人々は、乱暴者の村を逃げ出しました。すぐに「追っ手」がかかりましたが、リラとリルは雪山のおともだちになっていましたので、人間が通らない、通れないような道をおしえて道案内しました。つまりあの「長靴」をはいていないと歩けないような道です。
 こうして乱暴者の雪原を脱出した人々は、やがて凍りついた海峡をわたり、このお日様の生まれる島々にやってきたのです。リラとリルは、この島の雪山に入って、ライチョウの祖先となりました……
 「ね、ボクたちがあの本山さんたちの祖先を助けたの。だからいまは本山さんたちが助けてくれる。これはね、もちつもたれつっていうんだよ。〈なさけは人のためならず〉とも言うんだって。」
 カロはこう言いました。「ライチョウと神様」のお話はこれで終わりかなと、ロラたちは思ったのですが、そうではありませんでした。さいごにとても大事な「神様の注意」が一つあったそうです。
 「それはね、わたしはここにいるけど、それもかりのすがただっていうの。それはつまり、道案内をしてあげたリラとリルが雪山の神様と別れるのをすごくさびしがってるのを知ってたからなんだって。お母さんのレイラが旅立ちの前の晩にまた夢を見てね、旅立ちの朝に二人に教えてあげたの。神様はどこまでいってもちゃんといらっしゃるよって。そして神様からおそわった歌を歌ってあげたの。」
 カロは細いかわいい声でその歌を歌います。それは雪山にふく早春のそよ風のような、そういう響きがしました。

  〈わたしはここにいる あそこにもいる
  いのちのあるところ めぐみのあるところ
  やさしさとおもいやり たのしさとかなしさ
  そのすべてに わたしのいぶきがやどる
  いのちある めぐみをうける おまえたちは
  わたしのちかくにいる わたしのなかにいる
  だからさあ やさしさとおもいやりをもって
  たびじにでかけなさい きびしいさむさをのりきり
  あたらしいへいわなもりとやま かわとうみへ
  そのつかれきったものたちを つれていってあげなさい
  たのしさとかなしさ そのすべてをとおりぬけて
  あたらしいゆきやまと もりとかわのかがやきをみるならば
  それがわたしのしるし いたるところにあらわれるわたしの
  かりの そしてしんのすがたなのだ
  どこにでもいて どこにもいない
  ちかくにいて むこうにいる
  それこそが いのちのまもりて はぐくむもののしるし
  かがやくゆきやま それがおまえたちのよりどころ〉

 「だからね、ボクたちはいま雪山の雪が少なくなって、里の近くまで降りてきてるけど、でもお山は見えるでしょ。それがいつまでも、かりの、そしてほんとうのよりどころかなって、そうボクは思うよ。」
 カロはこう言って、くいっと伸び上がり、ちょうど林の上に見えるお山の山頂を見上げたそうです。いっしょにそちらを見たロラたちの目にも、お山はきらっと光って笑ったように見えました……
 ………………
 「けっきょく、かみさまってなんなのかなあ……」
 カロのこのお話が終わると、ロルはぼんやりした顔でだれにともなく聞きました。
 「だれなのかなあ、でしょ。」
 ロラがていせいすると、ロルはまたぼんやりした顔をします。そしてこう言いました。
 「だって、かりのすがただよ。かりのすがたが人のすがたで、ほんとうは山なんじゃない?」
 「でも山はそこに見えてるよ。いわゆる、じじつよ。かみさまって、じじつはこえてる、だからかみさまだと思う。」
 「でも……カロがかみさまの近くにいるのは、やっぱりカロが特別な子だからじゃないかな……」
 これはわたしもちょっと感じました。それでこう言ってみました。
 「だから、カロはほんとうの子供で、だから神様を見てる。他の子はなにかのことで、まだかりのすがた、かりのこども、不完全な子供、これからほんとうの子供に育っていくんじゃないかな。」
 「あ、それいい。なんかきぼうが持てる。」
 「つまりお姉ちゃんも、まだかりのすがたなんでしょ。」
 「そうね……かみさま、そんなにちかくにかんじないから……」
 「それはね、お姉ちゃん、神様にもせきにんがあると思うよ。」
 「どういうこと?」
 わたしも、ロルは面白いことを言うなと感じました。わたしとロラの注意をひきつけたことに満足したロルは得意そうです。ちょっと胸をはってこう言いました。
 「だって、どこにでもいるなら、どういうすがたでもいいなら、かみさまって、ボクでもお姉ちゃんでも、ヨシでもいいわけでしょ。みんなかみさまのかりのすがたかもしれない。でもそんなの……なんかありがたみがないっていうか……もっとはっきりしてほしいっていうか……せきにんとってほしいって、そうボクは思うよ。」
 わたしもそれはそうだと思いました。あまり自分をみても、こうごうしさは……さしあたり……感じないからです。
 みなさんはどうですか? かがみの中の自分をみて、「ひょっとして」とか思うでしょうか……
 しかしたしかに、化身や名代の伝説は、古くからあたりまえのように言い伝えられてきているのです。ですからその古い言い伝えに敬意を表して、かがみのなかのわたしがさしあたり神々しく見えなくても、このお話を聞いた人の中に、「あ、そういえば、きょうのわたしは……かがやいてるな……」という人があらわれる、そのことを期待しておきましょう。
 カロはでも名代になれる、そのくらい神様に近い子だとロラもロルも思ったようです。それはわたしもさんせいです。
 今月分はここまでです。
 次回はいよいよ「巣立ち」とかみさまの関係です。入学式や卒業式とあなたの関係といいかえれば、ぴんとくるかもしれません。入学式や卒業式のどこかに、すがすがしい、こうごうしいものがひそんでいるように感じたか、感じなかったか……それを次回いっしょに考えてみましょう。







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